ひとりっ子

ひとりっ子
SINGLETON AND OTHER STORIES
グレッグ・イーガン
2006
 グレッグ・イーガンの短編集である。私たちは世界を感じている。世界を感じているのは「脳」の情報処理である。入ってくるデータが同じでも処理の仕方で世界は変わる。処理の仕方のパターンの蓄積こそが世界観と言ってもいいのかも知れない。だから、処理の仕方のパターンを変えてしまえば世界観は変わる。あなたは誰になりたい。あなたは何者になりたい。あなたは、何だ?
 宇宙は、認識されなければ存在しないのか?
 森の中の木が倒れても、その音を聞く人がいなければ、森の中の木は倒れていないのか?
 猫は生きているのか、死んでいるのか?
 イーガンは、様々な形で問いかけ続ける。
 幸せとは、生きるとは、知るとは、宇宙とは、世界とは。
 そして、そういう頭が混乱したくなりそうな問いかけの上で、「幸せ」のありようを語る。
 宇宙のありようを研究している物理学者が、あるいは脳の働きを研究している生物学者が何を考えているのか、そのわずかな一端を感じたいと思ったら、グレッグ・イーガンの短編集を読むといい。なんとなく分かるような気持ちになるから。
(2009.01)

プロバビリティ・サン

プロバビリティ・サン
PROBABILITY SUN
ナンシー・クレス
2001
「プロバビリティ・ムーン」に続く、三部作の第二弾である。直接の続編で、前作の謎解きと、新たな展開を迎える。前作「プロバビリティ・ムーン」よりも戦争SF色やエンターテイメント色が強くなった。「共有現実」というややこしい世界観を読者に共有する必要がなくなっただけ、物語を展開しやすくなったのである。そうしてもうひとつ、本書「プロバビリティ・サン」のエピローグでようやく年代がはっきりと示される。2167年という数字がさらりと明らかにされる。つまり22世紀なのである。来世紀だ。ちなみに、異星種族フォーラーとの戦争によって人類は多くの星系を失い始めているが、それでも、人類は、地球、火星、月、ベルト域、ティタンなどに数十億の人口を有しているらしい。21世紀初等の現在でも「数十億」であるのは変わらないのだが。
 それから、もうひとつ、前作でははっきりしなかったことが、明らかになる。フォーラーは、あんまり人類型ではなかったのだった。
 さて、「プロバビリティ・サン」の話だが、前作で発見された「もうひとつの究極兵器」を研究、奪取することと、姿がはっきりしなかった強大な敵であるフォーラーを捕獲し、研究することのふたつが、ラウル・カウフマン大佐に与えられた使命である。そのために、天才物理学者、テレパスに近い特殊な共感能力をもつ超感覚者、前作に登場した地質学者のディーター・グルーバーと人類学者のドクター・アン・シコルスキなど個性派揃いのチームをまとめて作戦を遂行する必要がある。天才的中間管理職であるカウフマンは、”世界(ワールド)”へと向かう。究極の無理難題を果たすため、誰ひとり話を聞いてくれないだけでなく、お互いに信頼もないメンバーの間をとりなし、なんとか全員にやる気を出させ、秘密を守り、目的を達成する。お涙ちょうだい物語である。
 また、前作ではわかりにくかった「プロバビリティ」についても、量子論、究極理論などを背景にしながら、新たな宇宙理論として統合されていく。その新たな「発見」の物語でもある。
 ちなみに、本書の宇宙論については、「エレガントな宇宙」(ブライアン・グリーン)にヒントを得ているとある。「一般向け」に超ひも理論を軸にした最新の宇宙論を解説した本で、草思社から翻訳出版されている。私も買って読んだが、たしかにおもしろい、けど難しい。それでも、流し読みしておくと、本書「プロバビリティ・サン」のような話を読む際にちょっとはわかりやすくなる。
 まあ、そういう科学的な理論のところはすっとばしてもおもしろく読めるエンターテイメントSFなので、安心して欲しい。
(2008.12.31)

時間封鎖

時間封鎖
SPIN
ロバート・チャールズ・ウィルスン
2005
 おもしろいじゃん。
 作者が「世界の秘密の扉」のR・C・ウィルスンだし、タイトルが「時間封鎖」だから、タイムトラベルものかと思って、ちょっと手が出なかったのだけど、よくよく釣書を読んでみると、なんかおもしろそうじゃん、ということで読んでみた。
 おもしろい。正当派のSFだ。
 ちょっとした近未来の話だ。ある日、すべての星と月が消えた。そして偽物の太陽が地平線から昇りはじめた。外から見た地球は暗黒な何かに突然覆われてしまった。地球からロケットを打ち出すことも、ロケットが地球に戻ることもできる。月も、太陽も、星も、地球の外には普通に存在した。ただ地球だけが隔離されてしまったのである。しかも、それは空間的な隔離だけではなかった。封鎖外と封鎖内では時間の進み方が違うのである。外では普通に時間が流れ、地球上だけは時間が遅延していた。つまり、ゆっくり進んでいたのである。しかも、その時間差はあまりにも大きい。ひとりの人間の一生が太陽の一生と並ぶほどなのだ。
 偽物の太陽は、地球上の生物が死滅しないようにするため熱をコントロールするためのものであったらしい。つまり、地球を時間的に封鎖した何者かは、地球の生命体を滅ぼすことが目的ではないらしい。
 そして、地球はまるでタイムマシンに乗ったかのように宇宙の時間の流れから置き去りにされていった。地球の外では、たくさんの星が生まれ、進化し、そして死んでいった。月は徐々に遠くなり、太陽はやがて年をとっていくことになるだろう。ということは、やがて太陽が巨大化し、地球はそれに飲み込まれることになる。果たして、そうなってもこの時間封鎖は持つのであろうか? もし、時間封鎖が破綻したら、その時点で人類と地球は滅亡することになる。
 地球上に訪れた絶望の世界。しかし、それでも日々は過ぎ、生活は続く。いくつかの宗教が生まれ、いくつかの科学プロジェクトが生まれた。そのひとつは、火星のテラフォーミングである。地球がゆっくりとした時を過ごすならば、数十年で火星のテラフォーミングを行うことができるかも知れない。そうすれば、人類はふたたび普通の宇宙に復帰することができるかも知れない。それはひとつの夢になった…。
 そういう状況になったら、人々はどう考え、どう行動していくだろう。
 子どもの頃に、時間封鎖を経験した3人の人間の生き方を通して、その答えを模索する物語である。
 時間封鎖によって経済的にも政治的にも強力な位置を占めるようになった企業のオーナー、E・D・ロートン。その息子であり、経営者として英才教育を受けて育った天才科学者のジェイスン。ジェイスンの双子の姉として生まれ、息子を後継者としてしかみない父と、圧倒的な力を持つ父の前に飲酒に逃げるしかない母の間でひとり優しさを心に抱えていたダイアン。ロートン家の下働きとして敷地内に居を構えているひとり親の母に育てられ、ジェイスンとダイアンの唯一の親友として育った主人公のタイラー。この3人の人生の物語である。3人の心に深い影を落とすのが、権力者である「父」E・Dの存在と、時間封鎖の体験。彼らはそれぞれにそれらと向き合い、あるいは避け、あるいは別の強力な存在を追い求める。時に彼らは離れ、時によりそい、人生の流れの中に生きる。それは普通の宇宙での長い長い旅の中にあるひとつの物語。
 滅びの予感の中にある人々のあがきであり、救いの模索である。
 果たして、救いはあるのか?
 時間封鎖というひとつの状況と、いくつかの「すでにある科学」の延長だけで、驚くべき物語と、驚愕的なクライマックスが用意されている。
 絶対読んだ方がいい。みじんもクライマックスまでの気配を伝えたくない。書きたくない。
 これはおもしろいよお。
 ちなみに、あとがきにもあるが、グレッグ・イーガンの「宇宙消失」と状況は似ているけれど、「宇宙消失」は観察者問題が鍵になっているのに対し、「時間封鎖」の方は、ある意味で古典的なSFである。読みやすいのはこちらだ。
ヒューゴー賞受賞作品
(2008.12.11)

プロバビリティ・ムーン

プロバビリティ・ムーン
PROBABILITY MOON
ナンシー・クレス
2000
 チャールズ・シェフィールドが晩年をともにしたナンシー・クレスによる長編三部作の第一冊目が本書「プロバビリティ・ムーン」である。「プロバビリティ」??「実現性、確率、蓋然性」つまり、起きそうなこと。
 本書「プロバビリティ・ムーン」には、ふたつの物語がある。ひとつは、コミュニケーションできない異星人との果てしない戦争の物語である。もうひとつは、新たに遭遇した異星人とのコミュニケーションの物語である。
 22世紀、地球は生態環境の危機にあった、太陽系に進出した人類は火星をはじめいくつかの地に生存の場を増やしていた。そして、海王星近くでスペーストンネルが発見される。そこを通り抜けると別の星系に出た。そして、別の星系につながるスペーストンネルもあった。  スペーストンネルは不思議な性質を持っていた。通り抜けたもののことをスペーストンネルは記憶し、ふたたび通り抜けるときに同じところに戻してくれるのである。もし、地点Aからスペーストンネルを抜けて宇宙船イ号が地点Bに出現したら、別の地点から地点Bに出現する宇宙船が来ない限り、地点B側から宇宙船イ号以外も同じスペーストンネルを抜ければ、地点Aに行く。しかし、別の地点からの到来者があれば、そのルートは変えられてしまう。ただし、地点Bにいる宇宙船イ号が通過した場合には、地点B-地点Aのルートに戻る。
 さて、そのスペーストンネルによって人類は新たな世界を手に入れることができた。しかし、そこで目にしたものは、「人類型ヒューマノイド」の宇宙であった。スペーストンネルが設置された星系には人類が居住可能な惑星があり、人類は人類型の36の種属を発見した。そのうち35は原子力以前の文明社会であったが、ひとつだけ人類がスペーストンネルを発見した頃と同等かそれ以上の種属が見つかった。彼らはまだスペーストンネルを発見していなかったが、人類の出現によってそれを発見し、そして、人類と同様の行動を、より早い動きで開始した。彼らとのコミュニケーションはまったくできず、人類の植民星への攻撃をもって人類は彼ら”フォーラー”との戦争に突入した。フォーラーの科学力、軍事力は人類よりも高く、人類は危機に陥っていた。
 人類がスペーストンネル#438と名付けたスペーストンネルのある星系に、新たな人類型種属が発見された。彼らは自らを「世界人」と呼んだ。惑星には7つの月が回り、惑星は花であふれていた。世界人は、戦争をしない。花を愛し、花を育て、平和な農耕社会を築いていた。世界人は、現実を共有している。共有現実は、あらゆる方法ですぐに惑星中に伝えられる。共有現実以外の現実はなく、共有していない現実が発生すると、それに直面した世界人は激しい頭痛を感じる。共有現実を共有できない存在は非現実者とされる。まれに、罪を犯した者などが、現実を共有することが許されない非現実者として存在するが、彼らは現実者との接触を行えない。現実者が非現実者およびその行為と接触すると、それは共有されない現実となり現実者側にも非現実者側にも頭痛を招くからである。
 人類にも、他のどの種属にも持たない「共有現実」というものこそが、世界人から複数の現実を失わせ、その結果社会は統一され、社会行為としての戦争が起きないのである。窃盗などは起きる。それは、それぞれの個の都合であり、窃盗する者、される者ともその現実を共有することが可能なのである。
 はたして、「共有現実」とは生理的な現象なのか、社会的な減少なのか、人類の人類学者などがチームを組んで第二次調査に入った。しかし、この第二次調査は、軍事的目的の隠れ蓑でしかなかったのである。本当の目的は、人類学者チームには知らされずにはじめられた。惑星の7つの月のひとつが人工物であり、スペーストンネルを設置したとみられる超古代宇宙文明と同じ科学力により作られたものであった。もし、それが兵器ならば、フォーラーへの対抗手段になるかも知れない。惑星上での人類学者チームの調査と平行して、軍事調査もはじまった。
 その人類のふたつの干渉が、驚くべき結果を招くのである。
 かたやアーシュラ・K・ル・グウィンが書く異星世界のような精緻で、一見美しく、その底に大いなる秘密を抱えた世界での人類と世界人のそれぞれの立場からのコミュニケーションをテーマにした物語が繰り広げられる。主人公のひとりは、世界人でありながら、ある罪を犯したことで非現実者となった女性エンリ。人類が現実者なのか、非現実者なのかをスパイするよう世界人の政府から求められ、人類が調査のために滞在する世界人の貿易商のところで下働きをする。世界人の世界からは排除され、人類の研究者との間で複雑な関わりを持つことになる。
 人類側の主人公のひとりは、イラン出身の人類学者であるバザルガン。花に彩られたこの世界を失われたテヘランと重ね合わせながらも厳格なる調査チームのリーダーとして父のように振る舞うひとりの男の物語。そして、同じ調査チームの最若手であるデイヴィッド。権力者の父に対する反発から人類学者の道を選び、はじめて大きな調査チームに入った成功欲に満ちた青年は、その傲慢なほどの正義感と狭い世界観での判断力によってバザルガンを否定し、トラブルメーカーと化していく。
 世界はあくまでも美しく、大いなる秘密を抱えている。読み進めるうちに、秘密はさらに混迷し、やがて一気に秘密の花が開花し、大いなる現実が表れる。
 かたや、宇宙戦争の物語が拡げられる。超古代宇宙文明の高度な技術を調査するのは、宇宙巡航戦艦ゼウスのシリー・ジョンソン大佐。フォーラーとの戦争に従事し、退役後はスペーストンネルをはじめとする高度な科学技術の一端を少しでもつかむために物理学者となった異色の経歴を持つ根っからの軍人である。彼女が7番目の月を調べ、それが原子核内の「強い力」を一時的に無効化することができる兵器であることを突き止める。その内部機構が分からないままに時は流れ、大佐はその人工物をスペーストンネルまで運び人類側の星系に持ち込もうと決意する。そこにフォーラーが現れた。この星系もまた戦場になるのか!!!!
 ということで、宇宙戦争である。人類もフォーラーも、スペーストンネル以外は光速の限界を含めた物理法則に支配されている。手に汗握る時間、空間、物質、エネルギーをめぐる命を賭けた知恵比べと場所取り合戦がはじまるのである。
 その戦闘の行く末は…。
 というわけで、「ゲイトウエイ」(フレデリック・ポール)を抜けたら、そこには別の人類がいた。じゃあ「闇の左手」(アーシュラ・K・ル・グウィン)をやりましょうか、それとも「エンダーのゲーム」(オースン・スコット・カード)などあまたある宇宙戦争をやりましょうか、という物語である。
 三部作ということなので、このあとどこにいくのかは分からないが、「共有現実」に生きる花に包まれた世界人は果たして今後どうなるのだろう。気になる。でも、僕は共有された現実に生きるのはいやだなあ。
(2008.12.11)

73光年の妖怪

73光年の妖怪
THE MIND THING
フレドリック・ブラウン
1961
 本書「73光年の妖怪」は、1961年に発表され、日本では1963年に井上一夫氏の翻訳によって創元推理文庫SFから出版された。原題と大きくかけ離れた「妖怪」であるが、この「妖怪」は73光年離れた惑星から追放されて瞬間的に地球に到着した異星の犯罪者である。なにゆえに「妖怪」かといえば、それは「人にとりつく」からである。ということで、本書の解説では、ブラウンをSFの中のファンタジー作家と断じて評している。人それぞれの見方である。
 この異星の知性体は、近くにいる動物の精神に入り込み、乗っ取って、その知識や経験を習得し、自由に行動させることができる。ただし、一度入り込むと、自殺またはなんらかの手段で死ぬしか、その精神から抜け出し、自らの肉体に戻ることができない。また、動物が眠っているときに限られる。そして、入り込むためにはある程度近づく必要があるものの、地球上ではほとんど移動手段を持たない。さらに、知性体の肉体は数カ月ごとに栄養補給する必要がある。それは、たんぱく質のスープであればなんでもいい。
 異星の知性体は、もちろん人間にとりつくこともできる。知性を持っている対象の場合、相手が眠っていてもそれなりの抵抗を受けるが、それでも乗っ取りは難しくない。
 知性体は犯罪者であり、たまたま運良く動物のいる惑星に放出されたが、もし彼が自らの惑星に無事戻ることさえできれば、地球という新たな植民地を見つけたということで評価され、身分を回復することが可能になる。故に知性体は地球の科学者に入り込み、知性体を送り込んだ高度な技術を伝え、それによって自ら帰る必要があった。
 知性体は、まずネズミに入り込み、そして、ひとりの青年を乗っ取った。知性体にとって計画は簡単にいくような気がしていたが、思わぬ敵が現われる。
 人間や動物の不審な死が続くことに関連があると感じたひとりの科学者が、独自に調査をはじめた。今、ここに知性体と人間の科学者の知恵比べがはじまる!
 SFスリラーという感じでもある。
 見えない精神の乗っ取り。SFでいえば、「20億の針」(ハル・クレメント 1950)や、「人形つかい」(ロバート・A・ハインライン 1951)を思い起こす。それらよりも10年後の作品であり、当然、本書「73光年の妖怪」は「20億の針」「人形つかい」を受けて書かれた作品だと思っていいであろう。
 内容としてはとても楽しくおもしろく読めるのだが、タイトルがなあ。もう少し考えなかったのだろうか? タイトルだけでずいぶん損をしていると思うのだ。本書は。ということで、ずっと読まずにいたのだが、手元には1989年の第33版がある。よく売れていたんだなあ。同居人が買って読んでいたものらしい。同居人はおそらく「妖怪」の方に釣られたのだと思われる。それぞれである。
(2008.10.05)