量子真空

量子真空
REDEMPTION ARK
アレステア・レナルズ
2002
 アレステア・レナルズのレヴェレーション・スペース(宇宙史)に属する超長大長編「量子空間」の登場である。ハヤカワSF文庫。文庫で1200ページ越え。値段も当然1600円+税(2008年現在、消費税5%)。「啓示空間」「カズムシティ」をしのぐ分厚さである。もうそれだけでお腹いっぱい。本屋さんでも何冊も置けないだろう。
 ハヤカワSF文庫は怒濤のレナルズ翻訳出版である。長編「啓示空間」「カズムシティ」短編集「火星の長城」「銀河北極」のいずれも分厚く、いずれもレヴェレーション・スペースの宇宙史に属している。簡単に言えば、光速に規定されながら人類が太陽系外宇宙に生存域を広げていく宇宙である。人類は、いくつかの分派に分かれ、その分派間の戦争と貿易を行いながら、版図を広げようとしていた。宇宙には、知的生命体の痕跡や遺跡、異星生命体の存在は発見されていたが、コミュニケーション可能な知的生命体の存在は知られていなかった。「啓示空間」では、その非人類知的生命体の遺跡の研究に情熱を燃やすひとりの男が主人公となり、遠く離れたふたつの星系とその間を航行する恒星間人類船を舞台に終盤に向かって長い長い物語が続いた。
 本書は、この「啓示空間」の直接の続編にあたる。であるからして、「啓示空間」は読んでおいた方がよろしい。しかし、「啓示空間」はとても、とても読みにくかった。途中、何度も放り投げようかと思った。いや、読みにくいというのは、文章が悪いとか、構成が悪いということではなく、「どんな気持ちで読めばいいのかが分からないままに連れて行かれた」ということなのだ。なんと言っても長く、まじめそうなストーリーである。本格ハードSF的なにおいもする。そこが間違いだった。これは、長い長いエンターテイメント小説なのだ。言ってみれば、スペースオペラ映画のようなものだ。そうそう、「スターウォーズ」である。戦争と人々の伝説なのである。最初からそう思えば、「啓示空間」ももっと楽しめたろうに。
 ということで、まず、本書「量子空間」とも関わりのある、短編集「火星の長城」「銀河北極」を読んでから、次に、心を決めて「啓示空間」を読み干し、それから、ついでに「カズムシティ」でも読んで、ちょっと一息ついてから本書「量子空間」にたどり着くのがよろしいかと思われる。
 さて、舞台は2605年のささいなできごとをプロローグに幕を開ける。どうやらこの銀河系には、一定の水準に達した知的生命体を絶滅させる機械が遠い昔に放たれているらしいのである。人類の活動は、ついに機械を人類の版図に呼び寄せてしまったようである。
 人類の主要な植民星のひとつイエローストーン星は「カズムシティ」で主要な舞台となった惑星である。融合疫によってナノマシンが暴走し、生物と鉱物とコンピュータ類を融合させ、変形させてしまった星は、激しい戦争の渦中にあった。人類の一派である連接脳派と無政府民主主義者の戦争は、やがて連接脳派が圧倒的な勝利となることが明らかになりつつあった。ここにひとりの無鉄砲な星系内運送業者アントワネット・バックスが登場する。彼女にしかわからない理由によって巨大なガス惑星に向かう彼女。しかし、そこはまさに無政府民主主義者と連接脳派が交戦している現場であった。重力にとらえられ、自力で脱出できなくなったアントワネットは、連接脳派に救いを求めるという意外な行動に出て一命を取り留めるが、それが彼女の人生を大きく変えていく。連接脳派は、その名の通り、脳の神経を増強し、ネットワークで結ぶことで常時つながり大きな知的活動を行う人類一派を指す。そのため、他の人類からは「クモ公」と呼ばれていた。ちなみに、無政府民主主義派の悪口は「ゾンビ」である。アントワネットは、かつて人類の他の派を裏切り、連接脳派に寝返ったネビル・クラバインの気まぐれによって救われ、やがてクラバインとの関わりを持っていくことになる。クラバインは、連接脳派の研究と調査によって人類に知的生命体抹殺の機械が迫っていること、そこからは逃れることが難しいことを知り、連接脳派だけでなく他の人類も救おうと動き始めたのである。
 一方、「啓示空間」で主要な舞台になったのがリサーガム星。「啓示空間」は融合疫以前のイエローストーン星からわざわざ過去の知的生命体文明が滅んだ理由を探しにやってきたダン・シルベステの物語であった。それから60年以上の歳月が過ぎた。
 当時、近光速船ノスタルジア・フォー・インフィニティ号でイエローストーン星からリサーガム星にやってきたイリア・ボリョーワとアナ・クーリは、その間、冷凍睡眠をはさみながら星系内に残っていた。なぜならば、ノスタルジア・フォー・インフィニティ号は動きたがらないからである。しかし、機械がリサーガム星の近くで動きを見せていることはふたりの共通の懸念であった。いよいよ知的生命体を絶滅においやる機械がリサーガム星にねらいをつけているようである。時間の猶予はない。
 ここに、抹殺機械(ウルフ、インヒビター)との絶望的な戦いがはじまる。
 はたして人類は生き残れるのか?
 どの人類が生き残れるのか?
 宇宙船同士の戦闘、宇宙船内での激しい戦闘、さらにレンズマンもびっくりと宇宙規模の兵器が登場しての大戦。派手なアクションはこれまでのシリーズ最高。
 とにかく楽しく読もう。
 個人的に一番好きなのは、連接脳派の「悪役」スケイドちゃんの頭。鼻梁の少し上、額の中央から、頭頂に向かって正中線に沿って後頭部まで弧を描く突起。これって、ウルトラマンの頭だよなあ。この側面はちょっとした動きや心理状態で七色に変化するのである。かっこいい!これだけでも、本書「量子真空」が楽しむための一冊である裏付けになる。
 ま、とにかく読んでみて。
(2008.08.24)

木星強奪

木星強奪
THE JUPITER THEFT
ドナルド・モフィット
1977
 21世紀中旬、人類はいよいよ木星探索に向けて準備を進めていた。木星探査船は、世界の二大勢力となったアメリカと中国の共同によって進められている。国際協力と言えば聞こえはいいが、協力の理由は、アメリカと中国それぞれが持っている技術がブラックボックスになっており、そのどちらも探査船のエンジンには必要だったからだ。つまり、どちらの勢力も単独では木星探査が可能なエンジンをつくることができなかったのである。
 時のアメリカと中国は社会体制が違うものの市民・人民にとっては同じような存在となっていた。アメリカには強力な「信頼性委員会」が市民の思想を管理しており、中国でも同様であった。
 さて、まもなく迫り来る木星探査船の出発を前に、月の裏側の宇宙観測所では、異常事態をとらえていた。破滅的なX線源が高速で太陽系に突入しようとしていたのだ。このままでは人類は絶滅してしまう。しかし、そのX線源はやがて速度を落とし、太陽系にとどまろうとしていることが判明した。目的地は「木星」。そのX線源であった飛行物体に知的生命体が乗っているとは考えにくいが、可能性は捨てきれない。明らかに人類よりもはるかに進んだ科学技術による飛行物体であることは間違いない。
 突然、木星探査船の目的はまったく違うものとなってしまった。
 しかし、地球の官僚主義的統制社会は、この太陽系規模の突発的できごとに対応できるような状況にはなかった。疑心暗鬼が統制の根底にある社会では、異質なもの=排除するものとなってしまう。もし、知的生命体と遭遇できたり、その技術の一端に触れることができれば限りない技術的発展があるだろう。しかし、それ以上に、片方の勢力がそれに触れることの危機、自らの現状を変えてしまうことの危機が存在した。  人類は、そして、太陽系はどうなってしまうのか?
 そして、タイトルにある「木星強奪」の意味は?
 もうずいぶんと古い作品であり、今は絶版になっているから、少しだけ種明かしをしても許されるだろう。もちろん、白鳥座X-1方面からやってきたこの飛行体には知的生命体が乗っていた。本書では、便宜的に「白鳥座人」と呼ばれる。そして、都合のよいタイミングの木星探査船は、もちろん、ファーストコンタクトを果たす。
 ということで、ファーストコンタクトものである。
 1973年にアーサー・C・クラークが「宇宙のランデブー」を発表しているが、こちらは、太陽系に飛んできて、スピードも落とさずに去っていってしまった。一方、「木星強奪」の方は、「宇宙のランデブー」の小惑星ラーマよりも限りなく早い速度で太陽系に飛び込んできて、そこにとどまり、あまつさえ「木星強奪」してしまう。ストーリーや展開は大きく異なるが、「宇宙のランデブー」の影響も随所に見られる。
 本書「木星強奪」が発表された1977年は、映画「未知との遭遇」が発表された年でもある。アメリカでは1974年に辞任したニクソン大統領のウォーターゲート事件の余波が残っており、ベトナム戦争の終結とともに心を病んだベトナム帰還兵の問題が深刻化していた。中国では文化大革命が1977年に終結されるまで吹き荒れていた。
 そういう時代の空気が素直に反映された作品である。
 時代背景を知らずに読むと、911以降の世界を描いた作品化と思える部分も出てくるが、あくまで70年代が時代背景にあることをふまえておく必要がある。現在と70年代後半がどことなく似ているのは、それはそれで恐ろしいことなのだが、人類はそうそう成長しないのである。
 さて、ドナルド・モフィットについてなのだが、90年~91年にかけて、本書「木星強奪」に続き「創世伝説」「第二創世記」と3冊の長編作品がいずれも2分冊で翻訳出版されている。そのときに続けて買って読んだことを覚えている。その後、私は引っ越しを決め、袋2つ分の本を古本屋に持って行った記憶がある。SFも何冊か混ざっていて、この作者のものも出そうかどうか迷ったという記憶がはっきりとある。つまり、その際に「これは再読しねーな」と思ったのである。
 本書「木星強奪」を18年ぶりに読んで、どうだったか。
 実は、解説の中でも書かれているが、前半がのたのたしているのである。それに、ハードSFであるのだが、人物描写や社会描写に力を入れているところがあって、とりわけその人物描写に時々突っ込みたくなってしまうところがある。それがのたのた感を出してしまうのかもしれない。
 ハードSFとしてのアイディアやまとめかたはさすがであるが、人物描写や社会描写をどう読むかである。これは、同じハードSF作家であるJ・P・ホーガンなどでも見られることで、私がホーガン作品を最近読まないのもそのあたりに理由があるのだろう。
 難しいね。このあたりの評価って。
 結局のところ、自分で判断するしかないのだし。
(2008.8.11)

第二創世記

第二創世記
SECOND GENESIS
ドナルド・モフィット
1986
 ドナルド・モフィットが1986年に発表した「創世伝説」の続編が本書「第二創世記」である。1986年に発表されていることから、一連の作品として書かれていることが分かる。実際のところ「第二創世記」は「創世伝説」の後半部分と言ってもいい。もちろん、「創世伝説」はきちんと結末を迎えている。ここまでで満足してもまったく問題ない。一方、「第二創世記」の方は、もし、「創世伝説」を読んでいなければ、いまひとつストーリーに入り込むのに時間がかかるかもしれない。そういう言葉があるとすれば「続編感」に満ちているのだ。だから、「第二創世記」をこれから読もうという人は、古本屋さんで、「創世伝説」を探して読んでからの方がより楽しめる。まあ、そこまで力を入れて探すほどのこともないかかもしれない。
 ということで、いつものことだが、ここからは前作のネタバレ満載である。
 間違って来た人には申し訳ない。即刻このサイトを離れ、3700万光年の果てまで旅をしてきて欲しい。
 まあ、正直なところネタバレしても困らない感じもするのだが、やはり、新鮮な気持ちで読みたいではないか。
 前作「創世伝説」で、原人間のデータの中に潜んでいて不死化ウイルスを再発見して実用化したブラム。それだけではない。前作でナーとの間に新たな関係を構築し、ハドロン光子!によるラムスクープエンジンと生きている真空ポプラ宇宙船イグドラシルの連結恒星船に乗って3700万光年離れた人類の故郷を目指すことになった。ナー社会の人類15000人のうち実に5000人がイグドラシルに乗り込み、光速に限りなく近い速度を出し、ナーの銀河中心部にあるブラックホールを利用してさらに加速し、人類の銀河をめざすのである。その過程で、かつて原人類がそうであったように、ナーの生命と生態系、文明のデータをイグドラシルから送信し、ナーが宇宙に広がるのを手助けすることとなった。
 舞台の前半はイグドラシルとイグドラシルの搭乗者にとっては時間が早回りしている外の宇宙世界の物語であり、後半は、原人類が滅んだ後の7400万年後の銀河の姿が描かれる。
 相対論的時間効果が激しいので、ちょっとだけメモしておこう。
 物語は、イグドラシルがナーの銀河中心部を目指して、主観時間で20年後にはじまる。もうまもなく銀河中心部である。外では5万年の時間が過ぎている。このナーの銀河中心部で、不死となったブラムほかの人間たちは、この銀河に迫り来る危機を知る。しかし、それをナーに伝える方法はもはやない。そして、それは彼らとは違う時間軸でのできごとでもあった。
 それから3年後、イグドラシルは銀河と銀河の間の何もない空間をほぼ光速で疾走していた。外の世界では20万年が過ぎ、ナーと、彼らを送り出した人間の文明も滅んだようであった。
 そして、500年後。3700万年後の未来である。実に、原人類の送り出したデータが別の銀河の知的生命体ナーによって受信され、人間が復元されてから7400万年が過ぎていた。
 もちろん、原人類の姿はないが、そこには原人類が残した宇宙規模の構造物が遺跡として残っていた。そして、新たな生命体の姿が…。
 いくつかの出来事を経て、イグドラシルは、人類の銀河を離れ、大マゼラン星雲を目指すことになる。それはさらに数十年後のこと。つまりは、100万年後の世界である。
 途方のない未来である。途方もない時間経過である。
 もうびっくり。
 それを見据える不死となった人々。不死であるとはいえ、若返りも含むことから、生殖能力は継続する。つまり、人口が増え、みな一定の青年的容姿で維持される社会が誕生する。イグドラシルの内部は2万人を受け入れても余裕のある空間と能力を持つ。500年の間に、少しずつ人口は増え、事故や不死ウイルスに抗体のある一部の人を除き、死は縁遠いものとなる。そういう社会で、主人公たちはあまり変わらない。おいおい。いろいろ突っ込みたいところはあるが、まあ、遺伝子改変された人類であるし、そういうものだと割り切ればいいのか。
 ストーリーとしては、前作「創世伝説」からの仕込みも含めて、なるほどね、という感じで、とくに驚くようなことはない。設定が途方もないと、驚く気もなくなるのかも。主人公のブラムたちはよく驚いたりしているけれど、代わりに驚いてくれている感じがする。
 そうそう、宇宙で誕生する真空ポプラ宇宙船である。これにブラムたちは「イグドラシル」という名前を付けたが、生命樹のことであるな。20世紀のSFの集大成と言われる「ハイペリオン」(1989 ダン・シモンズ)にも出てくるねえ。本作が元ネタだろうか??
(2008.08.10)

創世伝説

創世伝説
THE GENESIS QUEST
ドナルド・モフィット
1986
 昔、一時期であったが初期のSETI@homeに参加していた。参加していたといっても、自宅で動かしていたサーバ用パソコンにクライアントソフトをインストールし、スクリーンセイバーでコンピュータ時間をささやかに捧げていただけである。その後、自宅内サーバは家庭用NASに置き換わり、FAXサーバもプリンタサーバも、パソコンサーバの必要はなくなり、WEBサーバも安いホスティングサービスが普及したことから、その役目を終えた。古いPENTIUM(クラシック)クラスの自作パソコンが、残骸となって家の押し入れに数台眠っている。電力消費量は減り、メンテナンスの心配も減り、一時期の趣味と消えてしまった。
 本書「創世伝説」の冒頭は、宇宙からのメッセージを月の電波観測所で受信したところからはじまる。ただし、ここからがドナルド・モフィットの見せ場である。今回の電波を受信したのは、宇宙時代をはじめたばかりのナーと呼ばれる種属。そして、電波はナーの父星のある銀河から37000000光年離れた別の銀河から届いた通信であった。それを送ったのは「人類」。1周期50年に渡る膨大なデータを、銀河を渡って届けられるような莫大なエネルギーを浪費して送ってきたのである。そのデータは、ナーが受信をはじめたとき周期の半分ぐらいとなっており、その後1周期が完全に受信され、次の追加データを伴う周期の途中で電波は届かなくなった。以来数百年、電波は再開されていない。そして、別の知的生命体を示す受信は、ナーの銀河からも、どの銀河からも届いてはいなかった。
 おだやかな知的生命体であるナーは、届けられたデータを解析し、科学技術の急速な進歩を果たし、宇宙進出の速度も速まった。それと同時に、生命科学も発展させ、ついには送られたデータから「人間」を生み出し、ナーの社会の中に人間を少しずつ受け入れ始めていた。人間はナーの庇護の元、原人類が送ってきたデータの中から芸術を復興し、社会を少しずつ築こうとしていた。
 しかし、人間の数が1万を超え、人間は再び「政治」を生み出す。ナーから独立し、人類だけの世界をつくり、やがてはこの銀河で優先的に繁栄することを望むものもではじめた。
 主人公の人間ブラムは、幼いころからナーとのコミュニケーション能力に長けた天才的科学者の素養を持つ男の子であった。幼いころには、いつか人類の故郷を目指したいと夢想し、長じてからは、育ての親でありナーの社会でも高い尊敬を集めているヴォスの職業であるバイオサイエンスの分野で働き始めていた。
 その才能に目をつけられ、ブラムは人類の独立を目指す革命的秘密結社に巻き込まれていく。人間とナーとの間に隠し事も、秘密もないと確信していたブラムは、人類の独立を否定しながらも、対処できないままに事態は進展していった…。そして、ついに。
 本書「創世伝説」の中で出てくるガジェットのうち一番壮大で楽しいのが地球のポプラを原人類が改変してつくった真空ポプラである。彗星の巣と太陽の光を求めて宇宙を自ら動き、種を蒔き、育つ生きた宇宙船である。宇宙船というよりも、自立移動のコロニーといってもいい。彗星から水をベースに酸素、水、そのほかの物質を取り入れ、光(X線も含む)を吸収して、エネルギーとする。ナーは、この真空ポプラが自由に繁殖できるよう改変を加え、すでにナーの宇宙進出と合わせて星系外縁部にはこの生きた宇宙船の森ができている。必要に応じて、収穫してくるだけでいいのだ。すごーい。
 本作とは関係ないがモフィットの前作「木星強奪」と本書「創世伝説」の冒頭は良く似ている。前者は太陽系に侵入してきた謎のX線源を月の科学者が発見するところからはじまる。本書「創世伝説」ではナーの科学者が人類の電波を発見するところからはじまる。いずれも、ファーストコンタクトの影を思わせる宇宙的イベントで幕を開け、その世界が変わる様を描いている。ひとつのパターンであるといえる。また、どちらの異星人も重力的に人類とそう変わらない世界の出身であり、相互の接触が可能となっている。
 まあ、ある意味で意外性のない、ご都合主義なのだが、ハードSF作家としてアイディアを読ませるためにストーリーを紡いでいる感じなので、あまり気にしないことである。
 それにしても、3700万光年の果ての人類かあ。なかなか呆然とする壮大さですな。
(2008.08.10)

アインシュタイン交点

アインシュタイン交点
THE EINSTEIN INTERSECTION
サミュエル・R・ディレイニー
1967
 暗喩と物語=世界の解体と再生の物語。こういうの面倒なんだよなあ。じっくり、しっかり、何回も読み返すような作品だから。「アインシュタイン交点」はディレイニーが25才の頃に発表した作品であり、作者としては「A Fabulous, Formless Darkness」という、なんかよくわからないけれど形のないような暗闇とかいう意味のタイトルを付けていた、そういう感じの物語である。
 ひとりの農村で暮らし、山刀につけた笛で多彩な音楽を奏でる男が、ひとりの女に恋をして死に別れる。彼女の死の原因と、彼女を死の世界から取り戻す可能性を込めて、彼は住み慣れた世界を離れ、旅をすることとなる。ドラゴンを助け、ドラゴン使いの仲間となって都市を目指す。その過程で、すべてに対する裏切り者と、男の親友と、男の敵を見つける。やがて、情愛と美と豊饒の象徴たる女に出会い、世界は変わる…。
 うーん、物語だ。
 地球に生まれた人類が何らかの理由でいなくなって3万年後、人類のようで人類でない人達の異質で同じで違っている世界。不思議な世界を旅する男。そして、本書を書き記しながら世界を旅する若きディレイニー。さまざまなよく分からないけれど形のないような暗闇が混ざり合い、溶け合い、別れ、引きつけられ、混沌と落ちていく。それもまた暗闇。そして、暗闇の先にある希望。まか不思議な希望。
 音楽。ロックと、オルフェウスと、ビートルズと、クラシックが混ざり合う物語。
 死と性愛が混ざり合う物語。
 異形と異形の中の異質とが、冒険と戦いと出会いとの背景に流れる物語。
 ドラゴンが、血をすする花が、心的調和ともつれ狂った反応の連合を担当する過去のコンピュータが、緑のひとつ目の男が、下半身が獣のようにがっしりとした男が、物語の中に流れていく。
 一瞬一瞬のイメージとして物語を静止させ、絵画にしていくことで、神話は人々にわかりやすく消化され、解脱されていく。
 そういう風に読んでおくと、疲れず、楽しめる。
ネビュラ賞受賞作品
(2008.07.20)