人形つかい

人形つかい
THE PUPPET MASTERS
ロバート・A・ハインライン
1951
 2007年7月12日、それははじまった。冷戦下の21世紀のアメリカ。大統領以外は存在を知らない特殊情報機関がそれを察知した。未確認飛行物体の到来と住民の異常な振る舞い。それは、人の肩から背中にかけてまとわりつき、人をあやつり、意のままにする異質な生命体であった。次々と寄生されていく人類。人類と寄生体の存亡をかけた戦いがはじまった。
 侵略ものの古典的傑作として知られ、肩にまとわりついたナメクジ状の寄生生命体というカタチはその後のSFに多大な影響を与えることとなった。本書「人形つかい」では、意思の疎通ができない侵略者として描かれるが、その後、この寄生体は人類のコミュニケーションツールとなったり、機械やナノテク物質になったりしてしっかりとSF界に寄生している。
 本書「人形つかい」は、一方でハインラインのナショナリスト、右翼的発想がぎっしりつまった作品として「宇宙の戦士」と並び嫌悪の対象ともなったいわくつきのものである。アメリカを自ら体現したようなハインラインならではの視点だが、「個」と「個の意志」の発露、そのための社会的に獲得すべき「自由」という線では、ハインラインにあまりぶれはないような気がする。「個の意志」で構成された社会には「自由」があり、それを脅かすと判断したものは実力で排除してでも「自由」は守るということである。まあ、「脅かす」と判断された側にはたまったものではないだろうが。本書「人形つかい」でも、最初から対話の可能性は存在せず、その存在そのものが「悪」であるとする。寄生された方はたまったものではないのだから、そういうこともあるだろう。
 書かれた時代も時代だし。
 いろんな面でいわくつきの作品だが、SFの古典として読んでおく価値はある。ストーリーとしてはわかりやすく、読みやすく、さすが巨匠である。福島正実氏による翻訳もやさしい。
(2008.06.03)

前哨

前哨
EXPEDITION TO EARTH
アーサー・C・クラーク
1953
 先日、異星生命に出会うことのないままに現世を後にしたクラーク老の第一短編集である。日本では、1985年に「前哨」としてハヤカワ文庫SFより出版されている。後書きにもあるが、「前哨」は、映画「2001年宇宙の旅」をスタンリー・キューブリックが制作する際の最初のアイディアをなした作品である。ちょうどこの頃は、日本でもSF(映画、小説)ブームが来ていて、古典的映画の代表作である「2001年宇宙の旅」の再上映なども行われていた時期にあたる。私はちょうど大学生の頃で、とてもありがたいことに、たくさんの映画や小説に触れることができた。
 この短編集に掲載されている作品群は1946年から53年に書かれた作品であり、第二次世界大戦、冷戦の開始、核への恐怖といった社会的背景を色濃く反映しているが、今読んでも古さを感じさせない。
「前哨」(原題 THE SENTINEL)は、手元にある初版の文庫本で15ページほどの小品であり、1951年に発表されている。内容は1996年夏、月面中央基地の研究者がはじめて「危の海-マーレ・クリシウム」を踏査し、あるものを発見して起きたできごとが語られている。「2001年宇宙の旅」を知っている人ならばなんとなく想像がつくであろう。まあ、そういうようなものである。もちろん、映画とは異なっている展開であり、結末であるが、今も多くの人達に影響を与え続けている「2001年宇宙の旅」の「前哨」となった作品であることは間違いない。
 もうひとつ、短編集原題である「地球への遠征」(EXPEDITION TO EARTH)は、1953年に発表されたやや長めの短編である。恒星船で宇宙を探査する先進的な知的生命体とようやく文明の曙にたどり着いた未開の惑星の知的生命体の出会いを描いた作品でイギリス作家らしいウエットとペーソスに満ちている。この作品もまた、ある意味で「2001年宇宙の旅」につらなるアイディアをなすといってもいい。
「前哨」でも「地球への遠征」でも、どちらもふたつの宇宙文明の出会いを描いたものであり、どちらも、ふたつの文明には彼我の差が存在するため、お互いの意図を知ることはない。もし、私たちが別の宇宙文明に出会うことがあるとすれば、当分の間は、科学技術的に私たち人類よりもはるかに進んでいることであろう。そして、向こうからやってくることになるか、その痕跡を知ることになるだけだろう。
 2008年6月3日現在、月にも火星にも人類はいない。人類はかろうじて高度400kmほどの周回軌道上にあるISSに3人が滞在し、7名がスペースシャトル・ディスカバリー号で滞在中である。このSTS-124は日本のミッションであるISSでの「きぼう」船内実験室取り付けが公開されているミッションである。また、故障したトイレの部品交換なども含まれている。
 月では、日本の周回衛星「かぐや」が調査を行っているほか、今後探査機等が各国で予定されており、将来は有人探査も計画されている。1969年から1972年までアメリカによって行われたアポロ計画以来、すでに35年以上月に人類は降りていない。
 火星では、現在、NASAの周回衛星マーズ・リコナイサンス・オービタ、周回衛星2001マーズ・オデッセイ(現在は通信中継)、ESAの周回衛星マーズ・エクスプレスが調査を続けており、火星の地上では、NASAの地上探査車マーズ・エクスプロレーション・ローバ(スピリット・オポチュニティ)と、2008年5月に無事着陸した探査機フェニックスが運用されている。これまでの調査から火星表面には大量の水があるらしいことが分かっており、その実態を調査するための大型探査装置である。
 まだまだこんな状況だが、そのうちいつか誰かと出会うことができるだろうか。
 そう遠くないことを願っている。
(2008.06.03)

わが夢のリバーボート

わが夢のリバーボート
THE FABULOUS RIVERBOAT
フィリップ・ホセ・ファーマー
1971
 本書「わが夢のリバーボート」はリバーワールドシリーズの第2作にあたり、「果てしなき河よ我を誘え」の続編である。
 今回の主人公はサミュエル・クレメンズ。マーク・トウェインの本名である。「トム・ソーヤの冒険」「ハックルベリー・フィンの冒険」などで子どもの頃大変お世話になった作家である。
 第一作で、舞台設定の紹介は終えているため、本書ではたっぷりと舞台設定を活用してドラマを繰り広げることができる。見知らぬ惑星で人類の始祖から21世紀人までの主に成人3600億人が自らの記憶を持ったままに目を覚ました。ひとつの果てしなき河が流れる惑星で人々はひとりひとつずつの聖杯を手にする。この聖杯を河筋に等間隔で置かれる聖杯石に置くと1日2回、聖杯にそれぞれの人の必要に応じた生きるために必要な食事、嗜好品などが転移されてくる。人々は、同時代人、異時代人が入り乱れながらそこに生き、暮らし、愛し合い、時に争う。個人的に争い、集団で争い、奪い、奪われ、殺し、殺される。男女が愛し合っても決して子どもは生まれず、死んでも翌日には別の場所で自動的に復活させられる。壮大な何者かによる実験が行われている。
 その異星人とみられる存在の中にも、この「実験」に否定的な者がいる。人類を救うためか、はたまた彼らの権力闘争なのか、数人の選ばれた人類に秘密が明かされ、河の上流を目指すよう示唆される。
 サム・クレメンズもそのひとりである。
 彼は、巨大な鋼鉄製のリバーボートを建造し、川の源流を目指すことを決意する。
 竹と木しか原料のない世界で、唯一、鉄隕石が落ち、原料が得られる場所であらたな国を作り、社会と産業を築き、他の国と貿易しながらも国家を維持し、リバーボートを完成させ、船出すること。殺されない限りいつまでも老化せず死ぬことのない世界だからこそできる計画である。そして、最大の障害が「殺される」ことである。死ねば、翌日には復活するが、まったく違う「どこか」に復活するのである。自分のいた場所にたどり着くまで何年、何十年、何百年かかるかわからない広い世界ゆえに、彼は殺されるわけにはいかなかった。
 サムは、狡猾なジョン王や、虫の好かないシラノ・ド・ベルジュラックらと手を組みつつ、この難解な課題に取り組んでいく。
 このシリーズの魅力は、歴史上の人物が時代を超えて邂逅するところにある。近年は、ネット上の仮想社会においてAIによる仮想人格で同様の物語が作られているが、リバーワールドシリーズは、それを先取りしている。彼らはみな自分が復活され、特別な状況に置かれたことを自覚している。不老、復活、繁殖不能であることを除けば、できることはかつての生きているときと同じであり、それ以上の能力はない。この条件によって思考や行動は生きていた時とは当然変異する。
 こうやって考えてみると、仮想社会や仮想人格などが新規なものではなく、人類が考えてきた世界観をもとにつくられてきたことが分かる。リバーワールドシリーズでは「異星人の技術」だったものが、技術的裏付けを持ってきたに過ぎない。
 進んだ科学技術は魔法と区別つかない、である。
 だから、物語には意味がある。物語は人々に共通する世界観を認識させる。そして、世界観をゆるやかに変異させていく。
 そんなことをつらつら思ったりしながら、まだ手に入っていない第三作、四作目を探すのであった。
(2008.05.27)

トライアッド

トライアッド
EMPERY
マイクル・P・キューピー=マクダウエル
1987
「アースライズ」「エニグマ」「トライアッド」の三部作である。本書「トライアッド」のみ未読のままはや15年が過ぎた。古本屋に立ち寄ったところ、本書を上下巻で発見。ようやく完結をみることとなった。
 とはいえ、「アースライズ」と「エニグマ」の間には長い長い時間の経過があり、「エニグマ」も、まあ完結しているとも言えるわけで、新たな気持ちで読むことができる。とはいえ、「エニグマ」を読まずに、「アースライズ」を読むと、ちょっと入り込むのに時間がかかるかも知れない。
「アースライズ」は、荒廃した地球の復興もので、ファーストコンタクトものでもあった。
「エニグマ」では、前作から160年後、西暦で23世紀から25世紀を舞台に、地球人類は宇宙に進出し、他の人類種属とともに拡張政策をとる姿が描かれる。
 そして、本書「トライアッド」では西暦で27世紀となり、前作から150年以上が経過して幕を開ける。前2作とは異なり、今回は人類種属の真の敵であり、誰もその姿を見たことのないミザリと呼ばれる敵の存在がある。前作を通じ、この敵の存在を知ったことで、人類種属は宇宙への拡張政策を停止し、内向きになっていた。
 そんななか、統一宇宙機構防衛省長官のハルマック・ウエルズは、見えざる敵ミザリと戦い、勝利するために究極の戦闘艦隊トライアッドの配備を求めて画策していた。一方、統一宇宙機構の絶対的な権限を有する委員会議長は、ミザリにあらぬ刺激を与えることは得策でなく、また、ミザリとの平和的コンタクトが可能ならばその道を模索すべきとして、ウエルズのもくろみを封じ込めようとしていた。統一宇宙機構内部と、地球をはじめとする各惑星政府との間の政争を軸にしながら、得体の知れないミザリとの戦いか、コミュニケーションかという選択はぎりぎりのところに追い込まれていく。
 そういう話だ。
 三部作を通して考えれば、結局のところ「組織と人間」という話が大きな筋で、もうひとつが、「得体の知れない、わからない、知らない」ものを人間はどう扱うかという話である。どちらもSFの基本的なテーマであるコミュニケーションのあり方について語られたものだが、あまりにもこのふたつの本筋がストレートすぎて、少し気恥ずかしくなる。この三部作に限らず、キューピー=マクダウエルの作品はいずれもそうだ。
 それが理由かな、読みのがしていたのは。
(2008.05.05)

SCARDOWN 軌道上の戦い

SCARDOWN 軌道上の戦い
SCARDOWN
エリザベス・ベア
2005
「サイボーグ士官ジェニー・ケイシー」三部作の第2作目は、「SCARDOWN 軌道上の戦い」。この三部作は、毎月翻訳発行するということで、読み終えたところで本屋に並んでいた。早いなあ。
 さて、いつも困るのだが、こういう三部作の第2作は前作と後作の間をつなぐ重要な役割を持つ。前の作品のネタバレをすることにつながりかねないので、書きにくい。しかも、まだ後作を読んでいないので、どこまで書いていいのか、後のことを考えると、それも書きにくい。どうしよう。
 いつものことだが、前作のネタバレ前提で書くことにする。前作を読んでいないと分からない作品だし、三部作で1本と考えてもいいような内容なのである。
 第1作目を読んでいない人は、ここから先は読まない方がいい。絶対!
 軽いストーリーものだから、ネタバレはつまらないではないか。
 ネタバレしてから読んでも、楽しめるとは思うけれど。
 そうでなければ、三部作なんて販売できないのだから。
 それでも、やはり、知らない方が楽しい。
 ということで、第二作を読んだ方、および、
 絶対このシリーズは読まないという方へ。
 本書は、タイトル通り「SCARDOWN 軌道上の戦い」である。
 前作で壊れかけた初老のサイボーグ実験体だったジェニーちゃんは、ふたたび手術を受けて生まれ変わった。50歳でも新たな誕生だ。
 はるかはるか昔のこと、火星に2隻の恒星船が遺棄された。それは人類とは異なる異星知的生命体のものであり、光速を超えた空間移動が可能になる技術や、ナノロボットの技術が使用されていた。カナダ=ユニテック社と中国は、いずれもこの技術を手にし、崩壊しつつある地球生態系を放棄して、他星系への移住を考え、恒星船の建造を行った。
 中国もカナダも、両者の思想は相容れず、いずれかのみが生き残ることを模索して、両者の緊張は高まっていた。
 恒星船を飛ばすには、高度な技能と、ナノロボットや恒星船とのヴァーチャルな融合が欠かせない。サイボーグ実験体として異物との親和性をみせたジェニー・ケイシーは、異星技術を元にしたナノロボットを体内に入れ、最新の技術によって全身の手術を受け、新たな身体能力と新たな人工左腕、目を入手した。そして、恒星船のパイロットとして、軌道上に存在するカナダ軍恒星船モントリオールに乗船したのであった。
 一方、天才科学者エルスペスが生み出した全人格知能(自意識を持った人工知能)リチャード・ファインマンは、ネットの世界を駆け回り、ナノロボットネットワークの高度な機能を発見、活用し、ついにはジェニーの人工知能領域を経由して自らも恒星船に乗り込むことに成功した。
 ま、ここまでは、前作の後半のお話し。
 本作では、地球に取り残され、物語の蚊帳の外に置かれた感のあるレザーフェイスの復讐劇を幕間に起きつつ、軌道上の中国恒星船「黄帝」とカナダ軍恒星船「モントリオール」を、異星船ナノロボットネットワークのハッキングによってこっそりと動き回る人工知能リチャードの活躍や、生まれ変わったジェニーによる軌道上、地球上での身体を張った戦いが繰り広げられる。
 そして、ヴァレンズ大佐の真の目的が明かされる。
 なんと、地球の気候変動は人類が地球上でまったく住めなくなる事態に向かいつつあったのである。中国はすでに地球を見限っていた。ヴァレンズ大佐もまた。
 この物語が幕を開けたのは、2062年8月末のことであった。本書「SCARDOWN 軌道上の戦い」の開幕は同年11月。わずか3カ月の出来事である。そして、本書は2063年1月で終わる。2カ月間で世界が変わる。
 おいおい。なんてこった。本書「SCARDOWN 軌道上の戦い」でも、さらに大変なことが起こり、物語は意外な展開を見せる。
 衝撃!
 わはは。おもしろいぞ、これ。
(2008.04.23)