竜の戦士

竜の戦士
DRAGONFLIGHT
アン・マキャフリイ
1968
 子どもの話として聞かされる「むかしむかし」、ではじまり、「めでたしめでたし」で終わる幾多の物語のことを、アン・マキャフリイは嫌いだったに違いない。
「むかし」っていつ? 「めでたしめでたし」のその後、主人公達はどうなったの? そんなことを考えたことがあったに違いない。また、王子とお姫様がいて、王子のことばかりが書かれ、その間、お姫様がどこで何をし、何を考えていたのかが書かれないことにも不満を持ち、お姫様の視点から物語を考えたに違いない。
「むかしむかし」、その物語につながる何かがあったのだ。
「めでたしめでたし」のあと、乱暴な王子は領民に疎まれたかも知れない。幸せに見えた姫はたいくつに絶望して、新しい冒険に出かけたかも知れない。その物語が原因で、別の戦争が起き、城は焼け落ちたかも知れない。そのときはめでたいかも知れないが、その後には、生活が、あるいは、新しい物語があるはずだ。
 竜の物語は、洋の東西を問わず、宗教、文化を問わず人気のあるジャンルである。
 竜が人と敵対し、あるいは、人とともに敵と対峙する姿は、想像するだけで怖く、また、楽しくなる。
 アン・マキャフリイは、むかしむかしにはじまり、めでたしめでたしで終わる竜の物語に不満があったのかも知れない。おしとやかなお姫様に怒りを感じたのかも知れない。
 本書「竜の戦士」は、アン・マキャフリイが、女性として初のヒューゴー賞を受賞した中編と、ネビュラ賞を受賞した続編の中編に加筆して1冊にまとめたものである。
 その後、本シリーズは、現在までに正編10冊、外伝3冊、中編2作が翻訳され、未訳1冊を数えている。30年以上に渡って書かれてきた一大シリーズであり、マキャフリイにとってももっとも愛着のある作品群となっているのではなかろうか。
 その最初の作品であり、古さを感じさせない力強い作品である。
 ファンタジーファンにも、ファンタジーが嫌いなSFファンにもお勧めできる良質の物語をどうぞ。
 はるか昔、人類は惑星パーンに植民した。楽園と思われた惑星であったが、楕円軌道を描くもうひとつの惑星が定期的に接近し、そのたびに糸胞とよばれる生命体が惑星パーンの有機体を襲い、壊滅的な被害を与えていた。植民者達は必死に戦ったが、やがて彼らの文明は衰退し、過去の技術は失われ、歴史は伝説となり、忘れ去れていった。残されたのは、糸胞と戦いながら生き残るための厳格な社会ルールと、竜と竜騎士の存在である。
 しかし、過去4世紀に渡って糸胞の襲来はなく、竜と竜騎士を尊敬する領主は減り、糸胞の襲来など過去の物語とされてしまった。竜騎士も、その自信を失い、竜と竜騎士のすみかである大窟洞に引きこもるだけであった。しかし、その竜騎士のひとり、フ-ラルは糸胞の襲来が近いことを感じており、新たな女王竜とペアを組む女性を捜す旅に出かけたのであった。そして、家族親族を殺され、城砦を侵略者に取られたことに復讐を誓って生き延びた領主の娘を発見する。彼女こそ、新しい女王になるのである。
 パーン原生の生命体から生み出されたテレポーテーション能力を持つ竜を、精神感応力を持つ人間が竜の使い手となり、可燃性の鉱物を竜がかじることで竜は火を噴く。それは、糸胞を焼き殺すためにもっとも効率の良い方法…。ファンタジーの中に科学的な解説を取り入れ、単なるファンタジーの領域を超えて竜の世界を生み出したマキャフリイの「竜騎士」シリーズが、いよいよはじまる。
 パーンに糸胞が降る。
 「竜騎士は飛ばねばならぬ
  空に糸胞があるときは!」
(2007.08.26)

竜と竪琴師

竜と竪琴師
THE MASTERHARPER OF PERN
アン・マキャフリイ
1998
 1968年に「竜の戦士」が長編作品として上梓されてから30年、パーンに降り注ぐ糸胞とと戦う竜と竜騎士の物語は、正編、外伝と紡がれる中でファンタジーの域を越え、パーンに人類が植民した歴史、糸胞による壊滅的被害、竜の創造、イルカ類との共生と隔絶など、惑星パーンをめぐるSF歴史物語へと変わっていった。
 そのなかで、竪琴師ノ長ロビントンの役割は巻を追うごとに高くなり、ロビントンが、パーンの新時代を築いていくなかで果たした役割の大きさには目を見張るものがある。
 さて、本書「竜と竪琴師」は、そのロビントンの物語である。彼は、どのように生まれ、育ち、竪琴師ノ長となったのか? いつから彼の音楽と言葉の才能は、そして、人を調停する才能を得ていたのか、その半生が語られる。
 アン・マキャフリイは、女性作家として、若く、少々元気すぎる少女の成長を描くことが多い。竜騎士のシリーズでも、何人かのアン・マキャフリイらしい少女の主人公が登場する。ところが、本書の主人公は、30年近く「賢者」として描き続けてきたロビントンの少年時代である。少年なのに、このロビントン君は老成している。おいおいそんな理想的な天才少年はいないだろう、という感じである。
 そして、ロビントンの母のメレランもしかりである。息子を顧みない父と、父に愛されていないことを知る息子との間で、息子を守り、夫を愛そうとするメレランの気丈でけなげなこと。前半はロビントンの物語というよりも、メレランによる「ロビントン子育て日記」のような状態で、いかにもマキャフリイらしい展開である。
 後半から終盤に行くに従って、なにやら懐かしい面々が若い姿で登場する。
 そうだよなあ、ロビントンが竪琴師ノ長になるということは、シリーズ第一作「竜の戦士」に直結するということなんだ。
 なるほど、そういう歴史があったんだ!
 ということで、本書「竜と竪琴師」はロビントンの成長物語であるとともに、シリーズ第一作「竜の戦士」の時代状況をより明らかにする直接の前史となっている。それでは、まず、この「竜と竪琴師」を読めばいいのかと言えば、そうでもない。
 パーンは竜の惑星なのだ。竜が火を噴き、その竜に竜騎士が乗る。希望と喜びを抱いて、パーンを守るために戦う竜騎士と竜の物語なのだ。まずは、「竜の戦士」を読んで欲しい。
(2007.08.20)

最果ての銀河船団

最果ての銀河船団
A DEEPNESS IN THE SKY
ヴァーナー・ヴィンジ
1999
「遠き神々の炎」のはるかなる過去の物語である。人類は、光速を超える手段を持ち得ず、ラムスクープ船によって銀河内に版図を広げていた。異星知性の文明跡はふたつ見つかったものの、知性のある存在を見つけることはできなかった。
 人類もまた、光速の限界により、入植した星と地球やそのほかの繁栄する星々との連絡は絶たれ、入植星の多くは滅び、いくつかは過去の科学技術を忘れ、そして、宇宙技術を失ったままに再興した。
 チェンホーと呼ばれる商人船団が、ウラシマ効果による母星との隔絶もものともせずにラムスクープ船の船団を組み、冷凍睡眠によって深淵なる宇宙の間隙を旅し、星と星との人類世界のかけはしとなっていた。それゆえにチェンホーは人類社会を統べずに統べる存在であるとも言える。
 チェンホーは、ある男を追っていた。その男の正体を、秘密を、そして、チェンホーがその男を追っていることを知るものはチェンホーでもわずかな有力者だけであった。
 その男が持っていた秘密のひとつがオンオフ星にあることは知られていた。オンオフ星、それは、250年のうち35年だけ燃え上がり、あとの期間は太陽の火が消える不思議な星。そのオンオフ星には宇宙の何らかの秘密が、つまりは、莫大な利益があるはずである。
 チェンホーは、オンオフ星をめざした。
 しかし、同じ頃、チェンホーの船団よりもオンオフ星の近くの星系にエマージェントと自称する人類文明社会が勃興し、同じくオンオフ星を目指した。宇宙最大の秘密を前に、チェンホーの船団とエマージェントの船団は対峙し、相互の不信は宇宙戦を招く。相互に帰還のための設備を失ったなかで、オンオフ星の惑星に非人類型知性体の存在が確認された。その蜘蛛型の知性体が文明を進歩させ、チェンホーとエマージェントの帰還に必要なエネルギーと機材の生産ができなければ、両者とも死を待つだけになる。冷凍睡眠を使いながら、眼下の惑星に蜘蛛型知性体の産業文明化を待つ人々…。
 傑作であろう。「遠き神々の炎」では、光速もなんのその、宇宙はネットワークで結ばれた高度な情報社会となっていたが、本書では光速を超えない、「現在の宇宙論で可能な世界」が相手になっている。それでも、少しだけ「遠き神々の炎」とつながりがあるのは、両作品を読んだ人だけが分かるようになっている。ということで、どちらから読んでも良いし、どちらか片方でもまったく、掛け値なしにまったく独立して読める作品である。
「遠き神々の炎」と本書「最果ての銀河船団」には構成上似たところがあって、前者では、犬型の群体知性体という非人類型知性体が登場し、重要な柱を成すが、後者の本書では、蜘蛛型の非人類知性体が登場し、物語の重要な柱となっている。ところが、である。本書「最果ての銀河船団」は、早い段階で、「異質な人類」であるエマージェントと、「理解可能な」蜘蛛型非人類知性体が対比される。同じ人類でも、共感できないエマージェントに対し、蜘蛛型非人類知性体の方が理解も共感もできるようになっている。
 もちろん、それは単純な擬人化ではなく、ストーリー上でも必然を持って語られる。
 それはなにかといえば、種明かしになるので書かない。
 読んだ方がいい。
 まあ、上質のエンターテイメントであり、教訓などはない。
 広大な宇宙の時空を頭の中に描き、蜘蛛型非人類知性体の生態や文明に思いをはせるだけで十分である。楽しいよ。
ヒューゴー賞・キャンベル記念賞受賞作品
(2007.08.10)

エンディミオンの覚醒

エンディミオンの覚醒
THE RISE OF ENDIMION
ダン・シモンズ
1997
いやあ、何度読んでもおもしろいものはおもしろい。再読だが、新鮮な気持ちで読むことができた。
「ハイペリオン」「ハイペリオンの没落」「エンディミオン」「エンディミオンの覚醒」の四部作もいよいよ佳境。すべてが語られ、そして宇宙が変わる。
ハイペリオンシリーズの前編を通じてひとつのテーマであった、「愛は宇宙の物理的な力」がいよいよベールを脱ぐ。
そう書くと、このシリーズがとたんにうさんくさく感じられるが、そんなことはないのが、ダン・シモンズの力量である。
そこにラリー・ニーヴンのリングワールドシリーズがあり、ジェイムズ・ブリッシュの宇宙都市シリーズだろうか、ジョン・ヴァーリーの八世界シリーズもあるかもしれない。それまでに登場したSFのガジェットが次々に新しいイメージを帯びて登場し、ひとつの物語に収斂されていく。その奥の深さには舌を巻くしかない。
そのなかでの「愛の力」である。
そりゃあ、あなどれないよ。
キリスト教と仏教の対話、新しい価値観の提示、それをSFのみがなし得る手法で提示する。荒唐無稽だけれど、精神の力を信じようと思わせる読後感がある。
それ以上は書けない。書きたくない。読んだ方がいい。
付け加えることなんてなにもない。
前作「エンディミオン」でもひどい目に遭ってばかりのロール・エンディミオン君であるが、今回はもっともっとひどい目に遭う。まあとにかく、ロール君のアイネイアーを守ろうとする思いと、そのために発揮する絶望的な力には感動するよ。えらい!
君こそ、ヒーローだ!
月にロール&アイネイアーとハートマークで落書きしたい気持ちだよ。
(2007.7.31)

エンディミオン

エンディミオン
ENDYMION
ダン・シモンズ
1996
「ハイペリオン」四部作の第三部、後半の「エンディミオン」二部作の一である。連邦の崩壊と連邦間の行き来が事実上不可能になってしまった崩壊から247年、ロール・エンディミオンが惑星ハイペリオンのエンディミオン市に生まれる。彼は後に「教える者」の保護者として知られることになる。物語は崩壊から275年後、ロール28歳のときにはじまる。連邦の崩壊後、聖十字架をコントロールして死からの再生をもたらす道を開いた教会はパクスと名乗り、政治、経済、軍のすべての力をコントロールしていた。聖十字架をつければ、死からの再生がもたらされる。聖十字架をつけて間違いなく再生するためにはキリスト教を信仰し、パクスに入るほかはない。パクスは、断絶された人類世界を急速に統合しはじめていた。ハイペリオンでもまた…。
この年、最初の死刑判決を受けたロールは、聖十字架を拒否するひとりであった。真の死を目前に「ハイペリオン」の巡礼である詩人のサイリーナスと出会い、ヒーローになることを求められる。いわく、のちに「教える者」として知られることになるべく生まれ、幼少の頃に時のかなたに姿を隠した巡礼ブローン・レイミアの娘アイネイアーをパクスから救い出し、守り、ともに旅をして、失われた地球を見つけ、元の場所に戻し、テクノコアの目的を探り、それを防ぎ、アウスターと接触し、真の不死の道があるかどうかを確かめ、パクスを滅ぼし、シュライクを食い止めろ、と。
家を飛び出し、ハイペリオンの自衛軍を皮切りに、カジノの用心棒兼ディーラー、はしけの船頭、造園助手、狩猟ガイドなどをつとめていた、頑丈で一途で直情的で、記憶力は優れているけれど、ちょっと抜けているところもある田舎の青年ロール君は、行きがかり上、サイリーナスの頼みを引き受けてしまう。そうして、「ハイペリオン」で一時巡礼達を導いたアンドロイド・ベティックや巡礼であった領事の口うるさい私的宇宙船など、ロール君にとっては300年も前の歴史時代に取り囲まれ、混乱しながらも、わずか12歳で全パクス軍から狙われるアイネイアーを救いに出かけるのであった…。
パクス軍からは、信仰厚きデ・ソヤ神父大佐が追撃役に選ばれる。
アイネイアーと出会ったロール君は、A・ベティックとともに逃げるのだけれども、アイネイアーがいれば、連邦の崩壊とともに失われた惑星間をつなぐゲートが開いて転移することができるのだ。ところが、デ・ソヤ神父大佐はその方法が使えない。そこで、パクスはデ・ソヤ神父大佐に超光速の大天使級急使船を与えた。その加速度は、中にいる有機体を完全に殺してしまう。しかし、聖十字架をつけており、適切な措置がなされれば3日あれば完全に再生できる。デ・ソヤ神父大佐は、アイネイアーを追い求めるために、何度も死んではよみがえる苦痛の旅を科せられる。それでも、信仰の力とルパン三世を追いつめる銭形警部のようなしつこさ、そして、ホームズのような推理力でアイネイアーを追いかけていく。逃げる、追う、逃げる、追う。連邦崩壊後のいくつもの惑星をめぐる旅がはじまる。
砂漠の星、氷の星、緑の星、やさしい星、厳しい星…。
未来をかいま見ることができ、さまざまな能力を持つアイネイアーだが12歳の少女であることも事実である。保護者として、全力を、いや全力以上をつくしながらアイネイアーを守ろうと奮戦するロール君。がんばれ、ロール! 負けるなロール! きっといいこともある…と思うよ。
とにかく、冒険物語である。追われる側も、追う側も、味もくせもある存在ばかり。それぞれに理由や目的はあるのだが、そういうスパイスをふりかけながらも、本筋は、次々と訪れる危機、また、危機。冒険、めくるめく世界。とにかくジェットコースターに乗ったような気持ちで一緒に旅を続けるだけである。ページをめくり、世界に思いをはせ、ロール君を応援しながら読む。読もう。おもしろい!
四部作のうちでえもっとも気持ちよく読める作品である。
(07.07.31)