アンドロメダ突破
ANDROMEDA BREAKTHROUGH
フレッド・ホイル&ジョン・エリオット
1964
「アンドロメダのA」の続編。続編あったんだ。昭和56年3月に発行されているから、高校1年の終わり頃、かな。たぶん。続編ということは、前段のネタバレになるわけで、こういうのが一番感想を書きにくいのだけど。
打って変わって、気候変動ものと言ってもいいかも。世界中で急激に暴風雨が吹き荒れ、海面が上昇し、あろうことか大気まで薄くなってきた。この原因は何か? アンドロメダからの贈り物である有機系連動スーパーコンピュータが生み出したのか?
この地球規模の危機に対し、各国は利害を超えて対応できるのか? 科学者は倫理を持つことができるのか? 多国籍企業は「人類の危機」に立ち向かえるのか、立ち向かう気があるのか? 「アンドロメダのA」はタイトルを印象深く覚えていたのに、続編のことはまったく頭になかった私はなんだったのだろうか? そうして、2016年、30年以上の時を経て、中古本セールで入手してしまったが、一体、何人がこれを覚えているのだろうか?
SFの多くは時間軸の関係で、できごとが急速に起きる。
しかし、実際の気候変動は、じわりじわりとやってきて、80年代に「異常気象」と言っていたものが当たり前になり、爆弾低気圧とか、異常高温とか、異常低温とか、竜巻とか、40度前後の気温の夏とか、雪の降らない冬とか。そうやって、気配を感じさせながら、危機を予感として感じさせるものなのだろう。正常化バイアスは、政治家にも、科学者にも起きることは、東日本大震災および東京電力福島第一原子力発電所事故とその後の対応で存分に学んだし、学び足りない。
宇宙から助けは来ないし、科学者が解決策を思いつき、一気に状況が改善されることもない。おそらくそれでいいのだろう。時間をかけてなんとかしていくしかないのだから。
本書の中で、科学者である主人公と主要登場人物は、政治的リーダーに責められる。今の事態を招いたのは、科学者の知的好奇心とやってみたいという自己満足の結果ではないのか? そのために多くの人が死に、そしてまた、それを解決するために科学を使うというが、それで責任を逃れることになると思うのか、と。
「あれはどんな実験でも起こりえたことです。わたしが間違いをおかしたのです」
「あなたの間違いを訂正するために、さらに何百万の人々が死ななければならない」「政治家の誤謬は時として高価なものにつきます。そして企業家はそれから利益をあげようと全力を尽くすこともあります。しかしあなた方科学者は違う。世界の人々の半分を殺戮してしまう。しかも、残りの半分もあなた方がいなければ生きていけないのです」
科学者である作者のフレッド・ホイルの、科学への信頼と科学への怖れを感じる一文であった。
(2016.8.14)