ブルー・マーズ
BLUE MARS
キム・スタンリー・ロビンスン
1996
来たよ、来ましたよ。「レッド・マーズ」「グリーン・マーズ」に続く三部作「ブルー・マーズ」。泣いちゃうよ。よかったよ、生きてて。
どうしようもなくなって原書買っちゃったよ。読んでないけど。だって難しそうじゃないですか。
あまりにも待ちすぎて、文体も変わっちゃった。どうしてくれる。どうしてくれよう。
1990年代に書かれた火星物SFの傑作が、この三部作。レッド・マーズで火星に恒久的に住み着く人たちが降り立ち、テラフォーミングをはじめる。グリーン・マーズで急速に進むテラフォーミングと、火星で生きることについて、火星人になることについて真剣に考える。でもって、本書「ブルー・マーズ」だ。
この三部作は、変わりゆく火星の火星という惑星の美しさ、変容したそれぞれの美しさを実に見事に描いている。それから、長寿化を果たした「最初の百人」とその子どもたちを主要な登場人物に、環境への考え方、生活と文化と社会、そして火星内の政治、経済、地球との関係、外交、紛争、未来の科学技術とそれによる人間や社会の変容などさまざまなことが丁寧に描かれる。その個別具体的な話は読んでもらうとして…。
長年待ち続けた「ブルー・マーズ」の翻訳が、2017年に出た。原著から20年が経っているし、前著「グリーン・マーズ」からも遙かな時間が過ぎている。
なぜ、いま、なのか?
もちろん、翻訳者の都合、出版社の都合があるだろうし、たまたま、偶然かも知れないのだが、2017年の春に翻訳されたことには、何かの意味があるのかも知れない。
本書「ブルー・マーズ」では地球から火星が完全に独立するために第2次の火星革命が起きる。そして、環境保護主義の過激派といってもいいレッズ(火星をこれ以上テラフォーミングせず、そのままの状態で人間が生きていくべき)と、グリーン(火星を人間が住みやすいようにできるだけ早くテラフォーミングすべき)を両翼に、地球からの移住受け入れ派、「マーズ・ファースト」という、地球からの移住停止派、宗教的対立、文化的対立など様々な利害関係者が火星というひとつの環境的には厳しい生態系を共有する者として火星憲法を作り上げ、新たな経済システム、社会システムを構築する過程にものすごくページ数を割いている。
その内容については本書を読んで欲しいが、基本的には、現在の地球にある男性中心社会、企業的経済中心社会、あらゆる多様性を認めない社会に対する対局の絵を描こうとしている。そのすべてを未来の目指す姿とはできないが、お互いの価値をいかにして認め合うか、という点が、個人、集団を問わず、本書のテーマとなっていることは間違いない。レッドでもなく、グリーンでもない、さりとて火星がブルーになるわけでもない。
でも、レッドであり、グリーンであり、それがともに存在する可能性を、この第3部ではあらゆる角度で模索する。
21世紀の2つめの10年目、先のふたつの大戦を大人として知るほとんどの人が亡くなり、あらゆる排外主義やファシズムが復興しつつあるいま、「ブルー・マーズ」が翻訳され、読めることは心の平穏につながる。
そう、排外主義、ファシズム、暴力中心主義に対しては、それを勢いづけさせないひとりひとりの努力が欠かせないのだ。黙ってみていてはいけない。たとえ、それが誰かとつながり、排外主義、ファシズム、暴力中心主義といったものの危なさを伝えていくだけでも、声に出し、何かをしなければ、そうではない社会は守れないのだ。
それにしても、テラフォーミング化した火星に未来のテクノロジーで空を飛び、海を滑空し、火星の気象に翻弄されるそのダイナミックな描写は想像するだけでわくわくする。
三部作、読むべし。
(2017年9月4日)