グレー・レンズマン
GRAY LENSMAN
1951
E・E・スミス
「銀河パトロール隊」に続く、レンズマンシリーズ第2巻が「グレー・レンズマン」である。「銀河パトロール隊」を再読したときに、けっこういろんなことを書いたのだが、今確認すると2007年のことであった。現在2019年。12年もの間、レンズマンから離れていたことになる。大人は忙しいのな。「銀河パトロール隊」は当時出ていた小隅黎新訳版のことに触れていたが、結局新訳版を買ったのはこの1冊のみで、手元には1966年の小西訳版しかない。奥付をみると、1966年7月に初版、1977年3月に27刷となっている。すごいね。このころはじめて読んだのだから、40年以上前の話だ。前にも書いたけれど10回以上は読んでいるので内容は読み進むにつれてかなり覚えていることに気がつく。私の記憶の中で、キムボール・キニスンが動き出す。気分的には、キニスンを見守り、クラリッサとくっつけようと画策するヘインズ最高基地司令とか、ホーヘンドルフ候補生学校長、レーシー軍医総監のようなリタイア老兵たちの方に意識が飛んでしまう。年をとったということか。
シリーズ作品群の中で、おそらく本作「グレー・レンズマン」がもっとも派手である。もちろん、作品舞台はシリーズの本編である第3巻「第二段階レンズマン」第4巻「レンズの子ら」に向かって壮大になっていくのだが、キムボール自身のアクション、活躍、宇宙での戦闘、諜報活動、危機、ロマンスそのいずれをとっても派手である。前作の活躍で「この」銀河系での麻薬・暴力ネットワークの壊滅の一歩を踏み出した銀河パトロール隊は、キニスンをグレー・レンズマンすなわち誰の指示も受けず、銀河パトロール隊のあらゆるリソースを使用できる独立レンズマンに任命された。その最初の仕事が、前作の敵ボスコーンの真の上位者を突き止めることだ。キニスンはボスコーンの本拠を、第二銀河系ランドマーク星雲にあると推測し、その探索に乗り出す。乗船するのは新造艦ドーントレス号。銀河一早く、それでいて火力と防御力にすぐれた巨大宇宙船である。その船にはレンズマンが10人「も」乗船し、それ以外にも最高の乗員が集まっていた。
「あとがきの解説」で厚木淳氏が書いていたのだが、E・E・スミスが「スカイラーク」ではじめて太陽系を超え、その後の作品で太陽系内にとどまっていたことに読者が反発、そうして再び、銀河系に舞台を移した「銀河パトロール隊」が誕生し、人気を博したとしている。「グレー・レンズマン」では銀河間の空間を超え、隣の銀河系まで旅をするのだから、大きく出たもんだ。
そして、もうひとつすごいのは、キニスンだけをおいかけると、この銀河系と、ボスコーンのいる第二銀河系を本作だけで3往復しているのである。すごくないか?
いま、そんなのどんな作家でも書けない。もちろん、あまりに物理法則を無視しているからだけれど、1890年生まれのドク(Dr)スミスにとっては、天文学、物理学の発展の歴史の中にいて、第1次世界大戦、第2次世界大戦を生き抜いてきたのだから、想像のつばさはどこまでも広げられ、無視することも、うまく使うことも容易だったのでしょう。
先述の厚木氏によれば、「レンズマン4部作」(あとの2部は前日譚)は1937年から1947年に連載されており、ちょうど第2次世界大戦をはさんだ時期の作品である。本書の出版年は1951年となっているが、これは6部作の単行本化の時期であるという。
そう考えると、本書にあるような敵は徹底的に殲滅するという姿は、時代的にそれほどおかしくはない。
科学的設定、タバコ、女性の扱い、異星人への扱いなど、いまでは認められないところも多々ある。それは時代の変化であり、人類の進歩の証である。古典SF、SFに限らず、古典的な小説はそういった作者の時代背景を含めて丁寧に読み解く部分も必要になるのだろう。本作を現代風に書き換えることは可能だと思う。ただ、古典SFには、その時代背景、未来への憧憬、当時のエンターテイメントの考えなどが反映されており、歴史の中で埋没させるにはもったいない資料でもある。
何も考えずに読むこともできるが、そういう読み方はできなくなってきた、21世紀前半である。
(2019.5.7)