ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン
ピーター・トライアス
UNITED STATES OF JAPAN
2016
この10年、日本は東日本大震災、ゆるやかな経済的衰退、高齢化、人口減少、相対的な海外との経済格差など、それ以前からの長い閉塞感にある。その中でうんざりした人々には、「日本すごい」「他国は劣っている」といった、狭量なナショナリズムが蔓延している。いまの政権はそのナショナリズムによって維持され、「日本すごい」「やることは間違っていない」といった姿勢を拡大再生産している。この「ゆるい」ナショナリズムは、次第に個人の世界観の拡大投影となって自分と国=政権・権力・権威を重ね合わせ、その全能感を一方的に共有しはじめている。自覚なき全体主義者の誕生である。
そういう世界の中で生きるのはうんざりするのだが、もともと、この社会の中にはそれを求める要素があって、それが顕在化してきただけとも言える。
身近な異文化である韓国、中国を嫌悪し、戦後の権威となっているアメリカを同盟者として擁護する姿勢、マイノリティ、少数者、外国人、非日本語話者を見下す醜さ。女性や子ども、老人、病人にまでそういった姿勢をあからさまにしているえげつなさ。
恥ずかしさ。
恥ずかしいので、こういうタイトルの作品は読むのを躊躇してしまう。ディックファンとして、20代の頃から「高い城の男」で「もしアメリカが日本に負けていたら」という仮想社会と、その虚構感を読んでいたにもかかわらず。
「21世紀の高い城の男」と評判の作品である。作者本人もディックと「高い城の男」に謝意を述べている。そういう意味では、最初から読むのに抵抗を持つ必要はない、そんなことは分かっていた。それでも、読むまでに心理的な抵抗が続いた。いや、買うまでに心理的な抵抗が続いたのだ。本屋で、いつまでも平積みにされている「日本がアメリカに勝った世界」を読みたがる戦後70余年の日本の人たち。それだけで気色悪い。でも、きっと読んだ方がいい。3年が過ぎて、ようやく手に取る。ますます気色悪い社会が生まれつつある中で。
舞台はアメリカ・ロサンジェルス1988年に始まる。プロローグの40年後のことだ。主人公は石村紅功、通称ベン。中国人・日本人ミックスの父と日本人の母から生まれ、幼い頃に両親を告発した功績をもつ。大日本帝国大尉として検閲局に勤務する。彼の前に登場するのは特別高等警察の槻野昭子。ベンがかつて師事した上司六浦賀将軍のゆくえを探す捜査につきあわされることになる。六浦賀将軍の娘の動向をさぐり、六浦賀将軍が開発し、流布したUSAというゲームプログラムの出元を押さえるために。USAは、その名の通り、アメリカが日本に勝利した架空の世界で広げられるゲームである。アメリカ人の独立抵抗組織がUSAを活用しているというのだ。
片腕のガンアーム、巨大人型兵器とそのパイロットなど、日本のアニメやガジェットがふんだんに盛り込まれていく中で、たしかに21世紀の「高い城の男」の物語が展開されていく。もちろん、ディックよりはるかに分かりやすく、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」をもとに映画「ブレードランナー」ができたように、「高い城の男」が「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」になったのかも知れない。もういちど「高い城の男」を読み直す必要があるようだ。いまだから、こそ。
(2019.10)