THE CLOCKWORK ROCKET
グレッグ・イーガン
2011
あらゆる物語は現実世界で起きた出来事と、その解釈から生まれてくる。それはすべての文学にあてはまり、ファンタジーであれ、SFであれ、その派生物だ。
現実世界で川上から大きな桃が流れてきたり、竹が光り輝いたり、桃や竹から子どもが出てくることはないが、それさえも現実世界と解釈のたまものである。物語は改変されていく。もしかしたら柴刈りに出かけたのはおじいさんだけでなく、おじいさんもおばあさんもだったのかもしれない。「柴刈り」というが、「柴」は切り株にした広葉樹から生えてくる新しい枝であり、そのやや細い枝を刈り集めるものであったはずだ。繰り返し柴を刈り山を新鮮に保つ技は燃料と様々な材料を安定して調達する手段でもあった。竹も同様にただ山に生えているものではなく、資材、食材として活用されるものであり、今日とは大きく意味を違えている。
そして、竹を切りに行ったのははたしておじいさんだけだったのか。
桃太郎はおばあさんが、かぐや姫はおじいさんがそれぞれ見つけるわけだが、近代以前、子どものいない夫婦が血のつながっていない養子をとり、「家=家業」を継がせることは特別なことではなかった。その背景を考えれば、この物語もまた今日とは意味が違ってくるだろう。
「おじいさんは山へ、おばあさんは川へ」という性差による労働区分も産業革命以前と以後、そして今日では違った意味を持つだろう。
「クロックワーク・ロケット」はグレッグ・イーガンによる「直交三部作」の第一部である。この直交の宇宙は、地球の存在する現実世界とは異なる物理法則の宇宙である。グレッグ・イーガンは物理法則を少し変えることで新たな宇宙を生み出した。それは、もっとも単純に言えば、E=-mc2の世界である。熱や位置エネルギーが発生するとき、同時に光が生み出される世界である。なんのこっちゃである。
物理学は現実世界を数式で描き出すものだが、数学はその基礎となる学問体系である。そして、数学からはいくつもの世界の可能性が導き出される。イーガンは、複雑な方程式を持ち出さず、図やその世界で起きるできごとを通じて、別の物理法則世界を読者に垣間見せてくれる。もちろん、ちゃんと勉強した高校生程度の学力があれば、ある程度ついていくことは可能だし、ていねいに読んでいけばそういうおもしろさに気づくことができる。
しかし、しかしだ諸君。高校数学から離れて40年、大学でも慎重に数学は避け、科学的知識は表面的な理論だけにとどめ、へえええ、おもしろいじゃん、とだけ生きてきた人間に、この直交宇宙を理解するのは簡単ではない。
簡単ではないから読むのをためらっていた。
んがしかし、しかしだ諸君。イーガンも長年SF作家としてだてに物語を書いてきたわけではない。魅力的な登場人物を通じて、難しい部分をすりぬけながらも楽しめる作品に仕立てている。さすがである。もしかするとこの宇宙における特異な条件を描いた「白熱光」などより読みやすいかも知れない。
そして、「クロックワーク・ロケット」はひとりの「女性」の物語であり、少数者、性的弱者、女性問題を正面から扱った作品でもある。
主人公は惑星ズーグマに生まれたヤルダ。単者である。この世界において、男性と女性は双と呼ばれる対で誕生する。男性のアゼリオと女性のアゼリア、男性のクラウディオとクラウディア。しかし、時に片方の性だけが生まれることもある。それが「単者」だ。単者に求められるのは代理双。すなわち、双の代わりとなる者。双は生殖のために必要なしくみであり、女性は男性の双によって子どもをつくることになる。ただし、これは近親による生殖とは言えない。しくみが違うのだ。詳しくは書かないでおくが、生殖には女性側の死が伴う。つまり、繁殖のためには女性側は死を受け入れなければならないのだ。それはこの世界における自然の摂理であるが、世界が文明化していくにつれ様々なやっかいな問題が生まれてくる。女性として自らの選択で生を選ぶ人たちと、それを喜ばない(伝統的な価値観の)人たち。
ヤルダはズーグマの自然森林に近い辺境の農村で生まれた。幸い父にめぐまれ、本人が望む教育を受けられることになり、子どもの頃に見た光にまつわる不思議な光景の謎を解くためにヤルダは数学者となっていく。
ちょうどヤルダが数学者となっていく頃、ズーグマの世界には異変が起きていた。空にこれまでにはない星が時々現れるようになっており、その頻度が徐々に増してきたのである。「疾走星」と呼ばれる星は、ヤルダが研究をはじめるきっかけとなったものであり、そして、疾走星をめぐる研究こそが、ヤルダをズーグマのアインシュタイン的な存在にしていくことになる。単者の女性であるが故に、故郷や大学の町で差別的な扱いを受けたり、意志を否定され、不当な拘束を受けることになっていく。しかし、ヤルダの研究によって、ズーグマがやがて惑星ごと破滅する運命であることが明らかになる。この危機を回避するために、ヤルダたちは途方もない計画に着手する。
直交世界で、相対論的速度を出すことによって静止座標系に対し時間が無限大に伸びることが分かってきた。つまり、ウラシマ効果の逆である。アインシュタイン宇宙では宇宙船が静止系の地球に対して相対論的速度で離れ、帰ってきた場合、地球でははるかな未来となっているが、その逆、すなわちズーグマを相対論的速度で離れた宇宙船は無限の時間を過ごし、ズーグマにおけるわずか数年の時に戻ってくることが可能となる。その間に、宇宙船の中で世代交代をくり返しながら研究を続け、ズーグマが破滅を防ぐための科学・技術的発見・発明を行なおうというのだ。
第一部「クロックワーク・ロケット」では、ヤルダが成長し、プロジェクトを軌道に乗せるまでが描かれる。
イーガンは、新たな宇宙と新たな世界を生み出した。と同時に、そこに現実社会が抱える問題を色濃く反映させている。そして、それをエンターテイメントなSF小説として完成させている。すごいことだ。
ヤルダに起きる様々なできごと。それは現実社会で女性やマイノリティの人たちが直面する問題である。ヤルダは、自らの生き方を選択し、女性、男性を問わず、それをサポートする人たちとともに生きてきた。かっこいい女性である。
イーガンの作品に限らず、科学的に難しい部分のあるSFは、もしそれが中長編であれば、難しい部分はある程度読み飛ばしながら流れを追うと良い。それでも、物語を通して得られるところは大いにあるのだ。
それにしても、数学大事。難しかった。
(2022.4.25)