漫画 ヒャッケンマワリ

漫画 ヒャッケンマワリ
竹田昼
2017

 内田百閒が好きだ。日記や随筆が実に面白い。一時期凝ってしまい旺文社文庫などの古本をあさっていた。旧仮名遣いの文庫だ。たしか90年代最初の頃である。そのころ福武書店が文庫で内田百閒の作品を新仮名遣い出版しはじめていた。1、2冊買ってはみたが、しっくりこなかった。内田百閒は旧仮名遣いに限る。独特の文章は旧仮名遣いを意識して書かれたものだから。別に読んでも読まなくても困る内容ではないのだが、ちょっと疲れたときなどにちょうどよい文章なのである。朝の準備などちいさなところに思いっきりこだわったり、たいへんなことなのに鷹揚にかまえることのできる、それを淡々と味わい深くおもしろく短い文章で表現できるのは内田百閒ならでは。生き方がそのまま文章を生み出している。

 内田百閒を好きな人はやまほどいるもので、映画にもなっている。「まあだだよ」(1993、黒澤明監督)は実にふざけていて良かった。内田百閒らしい「間」が映画に流れている。興行的には振るわずいろいろ言われているが黒澤監督の遺作としてふさわしい作品だと思う。
 内田百閒がらみの漫画で言えば一條裕子氏による「阿房列車」1号~3号が小学館から出版されている。その名の通り、内田百閒の「阿房列車」「第二阿房列車」「第三阿房列車」を原作に漫画化したもので、一條裕子氏の独特の「間」が百閒の文章のおもしろさを存分に引き出していた作品である。あとがきなどを読むと鉄道関係の表現を絵にするのにずいぶんと苦労されたようである。きっと楽しかったのだろう。

 さて、本書「ヒャッケンマワリ」も内田百閒ものの漫画であるが、「原作 内田百閒」ではない。著者曰く、内田百閒が作品や随筆の中で書いている「私」をそのままに受け入れ、平山三郎をはじめ、百閒の周りの著作などを参考にしながら、内田百閒を主人公に書いた「百閒とその周りの出来事」の作品である。それは百閒の実状に迫るわけでもなく、百閒の作品に迫るわけでもなく、ちょっと気になったエピソードを漫画に仕立て上げるという「作業」である。だから突然、世界の旅人・宮脇俊三が登場したりもする。内田百閒の複数の著作を読み込み、確認し、そこから派生して調べ物をして、なおかつ絵にするというとても面倒くさい「作業」だが、たぶんとても楽しいのだろう。この作者は内田百閒という宝物を見つけた趣味人である。その趣味人らしい「間」はどことなく一條裕子氏にも似ている。いや、これは内田百閒の「間」に似ているのだ。
 どうやら内田百閒に深入りした創作者たちは、百閒の「間」に捉えられているようである。
 また内田百閒の著書をいろいろと読み返したくなったが、いくつか親族に貸しているので読みたい気持ちを大切にしてあわてずに待つとしよう。

(2022.4.18)

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