THE FELLOWSHIP OF THE TALISMAN
クリフォード・D・シマック
1978
原題を直訳すると「護符の仲間たち」なのかな。邦題の「妖魔の潜む沼」は、そういう話ではあるんだけど、そこ?という感じもある。ヒロイックファンタジーは個人的に苦手分野なので手を出さずにいた一冊だが、直球のファンタジーではあるもののヒロイックファンタジーではなかった。
時は20世紀。しかし中世のまま時が止まったような世界。なぜならばこの世界は劫掠者(ハリヤーズ)によって侵略されていたからである。どこから来たのか分からないが、劫掠者は歴史の転換点となる時、場所に突如として現れては破壊の限りを尽くしてきた。そのため十字軍は出発できず、大航海時代も訪れず、文明の衝突も文化的交流もルネッサンスも産業革命も起きなかった世界。そのかわりに魔法使いや亡霊、悪魔、子鬼(ゴブリン)などが生き残っている世界となったのだ。剣と魔法の世界である。じゃあヒロイックファンタジーじゃないか!というお叱りの声が聞こえてきそうである。たしかに剣と魔法なのだけれど、釣り書きには「ヒロイック・ファンタジー巨編」と書いてあるけれど、シマックの構築する世界ではヒーローはヒーローらしくないのだ。
物語はブリタニアの名家スタンディッシュ家で発見された1枚の手稿の真贋を見極めるためオクスンフォードに居を構える老司教の元に手稿を届けるという目的の旅を描く。手稿はキリストが確かに地上に存在していたことを証として伝えるものであった。これが本物であれば弱体化したキリスト社会が再生を遂げ、劫掠者への対抗がかなうかも知れない。
スタンディッシュ家の若き後継者ダンカンとその親友である豚飼いで巨漢のコンラッド、賢い戦馬ダニエル、忠実なる猛犬マスチフとタイニー、それに実直な騾馬のビューティを連れとして、劫掠者により通行不能となっている苛烈な湿原を渡る旅がはじまった。
旅の途中で隠遁生活を続ける老修道士のアンドリュー、アンドリューを困らせていた亡霊、大魔法使いヴルファートの曽孫のダイアン、元魔女の老女メグ、人間は嫌いだが劫掠者はもっと嫌いだというゴブリンのスヌーピーに、魔界を脱走して魔法使いに捕まってしまい数百年に渡って拘束されていた話し好きの悪魔スクラッチらが仲間のような仲間でないような形でパーティを形成していく。しかし、旅の目的を知るのはダンカンとコンラッドのふたりだけである。
劫掠者たちは、執拗にダンカンを追ってくる。まるで彼らの目的を知り、彼らを妨害するかのように。ダンカンはキリスト者ではあるが亡霊とも、魔女とも、ゴブリンとも、あらゆる劫掠者以外の存在とも対話し、曇りなきまなこで彼らに接する。もちろん、嘘もつくし、嘘をついている自分を恥じたり、そんな自分を納得させたり、ダイアンに心を惹かれたりとふつうの若者でもある。確かに剣は強いのだが、万能ではない。むしろ、その開いた心で周りが勝手に助けてくれるし、運にも恵まれる。決してヒーローとは言えない。
いや、ある意味で現代的なヒーローかも知れないが、「調整型」ではない。なんというか、「心優しい頑張り屋さん」といったところか。
シマックが書く主人公はみんなちょっと優しい。
シマックが書く世界はちょっと楽しい。本作は劫掠者によって時を止められ崩壊していく世界ではあるのだけれど、どことなく懐かしく、美しい気配がある。シマックの心の中にある世界はとても美しいのだろう。