極微機械ボーア・メイカー

極微機械ボーア・メイカー
THE BOHA MAKER
リンダ・ナガタ
1995
 ナノテクの魔法物語である。
 あまりにも高度な科学技術は、魔法と変わらない。
 スプレーするだけで、どんな虫も死んでしまう殺虫剤は、昔の人にとっては強力な魔法だろう。
 テレビしかり、電話しかり、電子レンジや冷蔵庫だって、ガスレンジでさえ、いや、電灯も、レトルト食品も、無菌パックの食品さえ、魔法としか見えまい。
 これは、未来の魔法のものがたりである。
 ナノテクの実用化と、ナノテクによる人体、地球、生活の改変。しかし、人の本質は変わらない。持てる者、持たざる者がいる。
 持たざる者にとって、静止軌道に軌道エレベーターでつながった天界都市は、天国というおとぎ話である。
 頭の中に、仮想人格が入り、相互訪問し、あるいは、奴隷化する「枢房」は、恐ろしい魔法である。
 魔法にかけられた人を救い、魔法を恐れ、魔法を敬いながら、生きていくしかない。
 持てる者にとって、魔法はただの技術であり、法を管理する者にとっては、規制の対象でしかない。あるいは、規制の裏をかき、自己の欲望や、自己の生存をかけて入手し、使用する道具に過ぎない。
 ハワイの作家、リンダ・ナガタ(日系人ではない)が描き出す、ナノテクが実用化された未来は、現在の延長にある。
 道具を作り、食べものをつくり、服を作り、道路を作り、病気を治すのは簡単になった未来。しかし、ものごとには表と裏がある。合法的なナノマシン=分子機械=メイカーとは、「低次知能を与えられたプログラム可能な分子機械」であり、便利な道具である。しかし、違法な者は、殺人の道具として人を溶かし、快楽のために奇形化させ、様々な悪用をされる。さらに、一度だけガイア主義者のテロリストであるリアンダー・ボーアが自律した知能をもったメイカー=ボーア・メイカーは、地球と人間を完全に変異させかねない恐るべき分子機械であった。
 地球の各国家は、連邦をつくり、生物関連、技術関連の法律を統合し、その管理を、強大な権力を持つ警察組織にゆだねた。連邦に属さない国に対しても、警察はいとも簡単に侵入し、その権力をふるう。危険なテクノロジーは、国境を選ばないからだ。科学技術による変化の波はそれによりゆるやかになったが、それでも違法なメイカーは流通し続ける。しかし、警察も、世界に影響を与えるようなもの以外は、それほどきびしく取り締まりはしない。連邦外ならばなおのことである。なぜなら、連邦外の国々は、連邦に入らない/入れないがゆえに、後進国であり、持たざる者であるからだ。
 ナノテクは、地球そのものも拡張した。軌道エレベーターのワイヤーにより、静止軌道に位置する天界都市ができあがり、持てる者たちは、この軌道上で暮らしていた。
 通常の他者との顔を合わせたコミュニケーションは、「枢房」で行われる。
 メイカーによってつくられた脳の中の組織「枢房」に招かれれば、その枢房に入り、「訪問」することができる。訪問者と仮想人格は、それぞれ、その経験を実体験のあるものとして受け止める。「枢房」はまた、世界中の情報ネットワークをむすび、所有者の情報を管理し、運用する拡張された頭脳であり、コンピュータでもある。「枢房」を訪問した仮想人格は、やがて本物の人格に戻り、その間の実在/仮想のそれぞれの記憶を融合させる。複合化された時間軸、複線化された人生が営まれる。
 もし、必要に迫られて別の天界都市に行くならば、手っ取り早い方法は、「ハードコピー」することである。自身を凍結させ、行き先の都市においてあるもうひとつの身体に、自己をダウンロードさせるのである。身体=ハードが同時に二重に起動していることは法律で許されていない。もちろん、「幽霊」すなわち「枢房」を訪ねる仮想人格ならばいくついても違法ではない。
 かつて、実験として身体改変され、宇宙空間に適応する身体をもって生まれてきたニッコーは、定められた実験期間の終了の時が、自身の身体をむしばみはじめたことに焦り、生きようと画策する。
 その弟で、天界都市で育ち、違法なメイカーの存在や、日々の食にも困る持たざる者たちの存在さえ知らなかったサンドル。
 ひょんなことから、ボーア・メイカーのホストとなり、自身が魔法使いに変わったのだと自覚する文盲の元売春婦フォージタ。
 彼らを追いつめる警察長官。
 それぞれが、自分が生き延びること、他者と自分の関係に左右されながら、物語は次第に変容を迎えていく。
 とても腑に落ちる作品だが、冒頭に書いたとおり、それは、現実の延長にしか過ぎないからだ。持てる者/持たざる者の断絶は、ここでも変わることなく続いている。  しかし、最後に、作者はひとつの問いかけを出して終わる。
 私たちは、いや、私は、私という存在とは、何を差すのだろうか。
 この身体か? 他者からの認知か? 精神か? 記憶か?
 あと、30年後に本作を読んだとき、私はどう思うのだろうか。
 本作が書かれてから10年。まだ、本作の未来は訪れていない。
ローカス賞処女長編賞受賞
(2004.5.13)