結晶世界

結晶世界
THE CRYSTAL WORLD
J・G・バラード
1966
 鬼門の作家というのがいる。日本の作家だと、夏目漱石が鬼門である。いくつかの作品は読んでいるのだが、「猫」だけは読み通せていない。小学校5年生だか6年生だかにはじめて手を出そうとして、それ以来何度か読もうとしているのだが、最初の数十ページで挫折している。
 SFの中にも、鬼門の作家がいる。私にとってのそれは、バラードである。中学生の頃に一度手を出しかけて、その後20代にかけて数冊を購入しているのだが、一度もページを開いていない。そういう作家である。なぜかは分からない。読んでいないのだから。読もうとするたびに、読みたくなくなるのだ。不思議なものである。
 そんなバラードをはじめて読み通したのが、古本屋で買った「結晶世界」である。1966年の作品。タイトルは、30年前から知っていたが、中身についてはまったく存じ上げなかったのである。すいません、バラード。亡くなったけれど。
 あらゆるものが結晶化していく現象が起きていた。原因も、広がる要因も、なにも分からない。無力の中で広げられる人間模様。そこに、主人公のらい病専門医師の治療や患者との関わりも描かれる。
 人も、森も、風景も飲み込んでいく結晶の波。不吉であるとともにきらびやかな結晶の世界。その強烈な光と異質性が強調される故に、反面として強調される闇や影がある。生と死、性と死、表現される世界よりも、それを受け止める人間の思想や観念を描こうとしてる。
 気候変動が現実の問題になりつつあり、見えないままに肌で変化を感じるようになった今日。本書のような目に見える極端な異変というのが、リアリティを持ち得なくなった。気候変動は、たとえば、毎日、北極圏の海氷の状況や地球環境などのデータがインターネットに公開され、誰でも目で見ることはできるが、「結晶」のような特異な変化ではない。気づかないうちに、茹でられ、焼かれているのである。「結晶化の不安」は60年代~80年代の不安であり、90年代~00年代の不安とは本質的に異なる。10年代は、さらに、より即物的な不安になるだろう。
 当時「ニューウエーブ」と呼ばれ、その内面的志向や文学的志向には衝撃と批判が寄せられたという。それ故に、書かれた時代を反映した作品である。
 私にとっては、読むのが遅すぎた、としか言いようがない。
注:らい病については、本書訳語でらい病(やまいだれに頼)となっている。内容的にはハンセン病のことを指すと思われるが、当時使われていた病名での記載であり、差別表記として、今日では使われない。
(2010.06.30)