アロウズ・オブ・タイム


THE ARROUW OF TIME
グレッグ・イーガン
2017

「時間の矢」というのは不思議なもので、数学でも物理学でも時間の流れの過去と未来に区別はつかないが、エントロピーの増加や因果律という形で人類は時間の矢を感じている。そして、過去は変えられず未来は不確定で、どちらも光速の円錐の外側は知るよしもない。「現在という存在」のみが切れ目なくある、と、感じている。ただ、相対性理論によって「現在」は観測点によって異なることがわかり、分かりやすい例としてウラシマ効果が紹介された。現代のGPSのような精細なシステムにはこの効果による必要な修正が反映されている。さらに、量子論により時間の概念もまた変化するが、いまのところ人類の日常生活に見える形で影響することはない。しかし、現代の科学は「時間」「時間の矢」をもてあましていることだけは確かだ。

 本書「アロウズ・オブ・タイム」は「直交三部作」の第三部であり完結編である。時間と空間が等価となる我らが宇宙とは異なる物理法則で成り立つ宇宙の物語。E=-mc2が成り立つ宇宙で惑星ズークマは直交星団と衝突し破滅する危機を迎えていた。その危機に対し、直交星団と平行方向に巨大世代船「孤絶」を打ち上げ、逆ウラシマ効果によって世代船の中で科学技術を発展させズークマ時間では数年後に何世代もかけた未来の「孤絶」が帰ってきてズークマを救って欲しい。それが願いであり、「クロックワーク・ロケット」の物語であった。そして「エターナル・フレイム」では様々な技術的ブレークスルーを迎え、「孤絶」の人々の生き方を変える可能性、新たなエネルギー源の可能性を見た。そして、本作「アロウズ・オブ・タイム」はついに惑星ズークマを救う解決策とともに「孤絶」を180度回頭させて帰還への長い日々をはじめることとなった。解決策が示されたといってもまだ未知の領域は残されている。そして、社会文化的にも惑星ズークマの生き方とは根本的に変わりつつあった「孤絶」では帰還と救済という本来の目的を果たそうとする人々と、このまま「孤絶」や新天地を求めてそこで生きていくべきだという人々に意見が分かれていた。物理学者のアガタは、その未知の領域、重力と光の関係から、直交宇宙の構造についての研究を続けていた。一方、既知の知見から直交宇宙の特性上ある方法を使えば未来から現在へ情報を送り届けることが可能であることが判明し、「未来からメッセージを受け取る」ための道具が開発されつつあった。そしてこの技術に対して物理的な破壊工作に出る過激組織も登場するのであった。
 前作から数世代のち、繁殖方法が変わったことで人々の意識はずいぶんと変わってきた。それでも「育てる性」としての男性と、「産む性」としての女性という概念は残っている時代。帰還とはすなわちこれから先、母星到着までの世代は「何もすることがない」という意味でもある。加えて未来からメッセージを受け取れるようになったら、本当に何もする気が起きなくなるのではないか?
 どう思います。
 本書では未来から過去への時間の流れという事象と、もうひとつ、孤絶の人々にとっては過去から未来に流れる時間に対し、「孤絶」が帰還の方向を向いたことで直交星とは逆の流れとなってしまい、それまで反物質として振る舞っていた直交物質が、通常物質だけれど「孤絶」の時間に対して逆、すなわち未来から過去に流れるものに変わったという事象が描かれる。何言っているか分かります?分からない人は、1、2作を読もう!
 P・K・ディックの悪夢の世界の再来である
 あらためてディックってすごいなあと感じ入ってしまった。
 しかし、ディックは数学的裏付けなしに書いたが、イーガンは違う。宇宙を数学的、物理学的に作り上げ、そこにこの時間逆転世界を書ききるのである。いやあ、何言ってるのかわかんないね。後半にあるここのところの表現を読むためだけでも、この三部作を読む価値はある。間違いない。
 そしてふと思う。自由意志ってなんだろう、と。

 さて、もちろん本作でももうひとつのテーマ、性と社会が大きな要素を占めている。第二部で徹底して詰めてあるので、本作ではその未来でしかないのだが、これは人類に対する挑戦でもある。これについてもまた第一部からの流れを読んで欲しい。男女問わず。

 大団円を迎えた直交三部作。数学や物理学的説明とそこからくる情景やシーンについては正直言って半分も理解できていない。それこそディックのつじつまの合わない支離滅裂だけど読ませてしまうのと、「私にとっては」何が違うのかというぐらいである。もちろん、大学1年でていねいに線形代数学や物理学の入口を学んだ学生や高校3年の数学Ⅲや物理Ⅱ(今はどう言うのかな?)まできちんと履修し、その上で数学や物理学に対して関心を失わずに来た人であれば私よりは100倍以上楽しめる作品であることは間違いない。
 幼い頃からSFを読んできたけれど、そういう積み重ねが足りてこなかったことを、とても反省する三部作であった。でも、そうでなくても読んで欲しい。私と同じぐらいでも、数学や物理学が大嫌いでも、そこを読み飛ばしても、おもしろいから。