緑の星のオデッセイ

THE GREEN ODYSSEY

フィリップ・ホセ・ファーマー
1957

 65年前の作品かあ。初訳が1970年、52年前。それだけ前の作品だと言葉や訳語にも現在では使われなくなった単語なども入ってくる。古い作品を読む際には、その時代背景などもある程度頭に入れておかないとそもそも読めなくなってしまう。

 はるか未来の物語。宇宙船の事故により地球人アラン・グリーンは見知らぬ惑星に不時着し、そこで捉えられ、支配者である貴族の妻の奴隷として多忙な日々を過ごしていた。奴隷頭としての多忙な仕事、貴族の妻に要求される夜のお相手、さらに、自由奴隷となっている美貌で商才を持ち、嫉妬深い妻アムラとの楽しくもうっとうしい暮らし。
 そう、宇宙で人類型の種族は決してめずらしくなかった。おそらくはるか昔、高度な科学文明を持つ人類の祖先が各星系に植民し、そして何らかの理由でそれぞれが孤立して科学文明を失い、いくつかは再興したのであろう。
 地球は、アランが落ちた惑星よりも一足先に再興していたのである。
 この惑星は、草の海の惑星であった。水の海もあるが、大陸はおよそ平たくそろっており、草の海となっている。雨も規則正しく降り、アランにとっては不思議な惑星であった。
 しかし、それを調べることもできない立場にあった。
 この惑星の人々は、中世都市国家ごとの支配が確立しており、草の海を風を受けて「船」が行き交い、貿易を行なってきた。そのような世界ゆえに伝説や怪異な言い伝えにも満ちていた。
 ある日、不思議な人間がアランがいる都市とは別の都市に空から2人降りてきたという。その怪しさ故に捕縛され、殺される可能性があるという。しかし、アランは気がついた。このふたりは地球の宇宙船に乗ってきた人たちであろうと。それは、アランがこの未開の星を離れ、地球に戻るための希望だった。
 アランはこのふたりを救い出し、自分自身が地球に戻るため、草の海に冒険の旅に出るのだった。

 壮大な宇宙史のひとつのエピソードみたいな物語なのだが、単発の小説である。草の海のある異世界での冒険ファンタジーといったところで、草の惑星、そこを疾走する帆船という絵になる設定を除けばSF要素は少ない。しかし、「この惑星の謎」が物語の後半を盛り上げてくれる。50年代SFのひとつの頂点であるのだろう。

「人類」の祖先種族がいて、生殖可能な「人類」にみちた宇宙という設定は、かつてのSFには多く見られている。それは、一方にベム(怪物)的な宇宙種族と人類との闘いという設定があり、その荒唐無稽さに対する「大人の小説」指向でもあったのだろう。
 実際、ファーマーは当時のSFのタブーとされた性表現を取り入れたことでも知られている。本作は性表現こそはほとんどないが、貴族の妻とその奴隷としての性関係に、自由奴隷として貴族、別の都市国家の王子、商人の子どもを育て、アランとの間にも子どもを産んで育てている妻が登場し、そのアランと彼女の社会的な制約の中での性的な奔放さを伺わせている。SFに一歩大人の階段を上らせたのがファーマーだと言える。
 再版されることはないと思うが、できればファーマーをまとめて読んでみたいものだ。

 なお、本作はあとがきによると1957年当時「裸の太陽」(アシモフ)、「夏への扉」(ハインライン)と並んで評価されていたSFとのこと。

(2022.9.26)