虚像のエコー

虚像のエコー
ECHO ROUND HIS BONES
トマス・M・ディッシュ
1967
 1990年。1970年代末にはベトナム戦争は終わったが、米ソ冷戦は激化し、いまにも核戦争が起きそうな情勢となっている、2015年の今となっては古い未来。書かれたのが1967年で、ベトナム戦争真っ最中である。
 主人公のハンサード大尉は、ベトナム戦争を経て、陸軍の特別な部隊に配属されていた。
 その部隊は、秘密裏に開発された装置を使い、地球と火星を瞬時に移動することができた。装置はその部屋に入ったあらゆる物質を転移させることができる。ハンサード大尉は地球から火星へ赴任する際に、将軍から直接の秘密指令を受け取った。それは、1990年6月1日に、敵に対して核攻撃を行うというものであった。そうなれば、地球人類は破滅するであろう。転移技術を持つ故に、一部部隊が火星にいるアメリカ。月にはロシア人。それ以外のことを想像するだに恐ろしい核戦争。ハンサード大尉は、そして火星の将軍は、政治家たちがいつものように2週間のうちに命令を撤回するものと信じ、願っていた。荒涼とした火星の基地で。
 もうひとつ、物語は別の様相を示す。ハンサード大尉が火星に転移された瞬間から、ハンサード大尉は別の世界にも登場する。この転移技術は、どうやら別の位相にエコーのような物質を形成するのである。この別の位相は、元の存在とは物質的に異なるため、同じ空間にいてもものを触ったり、音を聞くことはできない。しかし、光の性質により、元の世界の光を受けることはできるのだ。だから、見ることはできる。まるで幽霊のような存在になる。その幽霊のようなエコーは、生きるためには、物質転移機から同時にコピーされる空気や物質としての食糧などに依存する。転移される空気、水、食糧がなければ生きられないはかない存在なのだ。転移のたびに、エコー存在がつくられる。同じ人が地球から火星、火星から地球と行けば、2つの同じ位相のふたりの人間が同時に存在することになる。そして、そのことを、オリジナルは知るよしもない。
 という条件を背景に、ベトナム戦争の悪夢、核戦争の悪夢と愚かしさ、人間の愛を書いた作品とも言える。1967年とはそういう年だったのだ。
 現実には、ベトナム戦争はもう少し早くに終わり、幸いなことに2015年まで全面核戦争は起きておらず、核爆発は直接の兵器としては使われていない。
 本書は、古書店で売っていた「銀背」を入手、初読である。ディッシュといえば、「いさましいちびのトースター」を思い出されるが、今調べてみたら、2008年に自死されていた。本書を書いたのは27歳の頃と思われる。そういう風にして読むと、あらためてアメリカはベトナム戦争で深い深い傷を負ったのだな、と、思わずにいられない。
(2015.11.8)