迷宮の天使

迷宮の天使
AFTERPARTY
ダリル・グレゴリイ
2014
 認知学、大脳生理学などが導き出したひとつの答えである「自由意志という幻想」を正面から捉え、脳の配線を変えてしまう新薬「ヌミナス」と、ドラッグなどの化学物質をレシピと原料から簡単に合成できる「ケムジェットプリンタ」を外挿することで近未来の、かなりハードボイルドなSFが誕生した。
 アメリカSFと「神様」というのは結構微妙な関係にあって、とくにキリスト教に造詣が深くないと、何を書いてあるのか分からないこともある。「アークエンジェル・プロトコル」(ライダ・モアハウス、2001)をハヤカワ文庫SFで読んだとき、「天使」が当たり前に出てきたのを頭で受け入れられず読み終えてから「天使」が本当に「天使」だったことに思い至ったということをやらかした。なので、わりと冒頭から「天使」などが頭の中にいて、見えて、アドバイスや赦しを与えてくれるストーリーにちょっと怯えたのは事実。しかし、設定がしっかりしていて、ヌミナスにより脳の配線が変わり、認識としての神を持つことになった人間がいるという導入があったので、その線に沿って読み進めれば、アクションあり、謎解きあり、近未来SF的ガジェットありのとても読みやすい話であった。
 しかも、「自意識」とか、「認知」など様々な脳をめぐる科学的問題がストーリーに織り込まれ、SFとしての完成度も高い。
 ストーリーは、主人公の神経科学者ライダ・ローズが、精神科病棟に長期入院しているところからはじまる。最近、病棟に入れられた少女が自殺した。その少女の症状が、10年前に自分たちが開発し、封印した新薬「ヌミナス」によるものではないかと疑いを持ったライダは、病棟で恋人となったオリー(オリビア)の「自主退所」を支援し、「ヌミナス」の出所を突き止め、流通を止めるために動き出した。「ヌミナス」は大量摂取すると不可逆的に脳の配線を変え、服用者に「神」を顕在化させるのである。ライダは10年前に、開発チームを組んでいたメンバー達と新薬開発成功のパーティで大量摂取し、ひとりの天使を幻覚として持つことになっていた。
 はたして5人の新薬開発関係者のうち誰が関わっているのか。ひとりはライダの婚姻パートナーで実質的な開発者だがすでに死亡している。ひとりは刑務所におり、ひとりは大富豪となって姿を隠している、そしてもうひとりは製薬メーカーの管理職。それにライダである。
 ライダは、ドラッグの製造売人、大麻の元締め、タバコの密輸業者などをたぐりながら、住んでいるカナダからアメリカへと向かう。偏執症を持つオリーの調査能力とライダの人脈は、ふたりを真実に向けた旅に向かわせる。謎の殺人者が、ふたりの行く手を複雑にしていく。
 愛すべきサブキャラのオリーが無神論者であるというのも実におもしろく、それぞれにキャラ立ちしていて、ハードSFなんだけど、ライトな読み物にもなっている。
 いいねえ21世紀のSFだ。
 このところ20世紀前半的なSFばかり読んでいたから、すごく楽しめた。
 神の存在にも慣れたかな。
 でも、おせっかいな神はいらない。
 この不自由な自意識と不自由な自由意志にもてあそばれながら、これからもSFを読むのだ。
(2019.8.14)