ビット・プレイヤー

ビット・プレイヤー
BIT PLAYERS AND OTHER STORIES

グレッグ・イーガン
2019

 日本オリジナル編纂の短編集。「七色覚」「不気味の谷」「ビット・プレイヤー」「失われた大陸」「鰐乗り」「孤児惑星」所収。「鰐乗り」と「孤児惑星」は長編「白熱光」と同じ未来史の物語で、「鰐乗り」は「白熱光」でエピソードとして簡単に語られるエピソードの詳細。
 さて、グレッグ・イーガンの長編はたいてい難解でおもしろいのだが、中短編は難解な部分の書き込みが少ない分だけストーリーに入り込める。そうして気がつくのがグレッグ・イーガンのストーリーの柱には人間(知性体)の関係性のありようが書かれていることだ。SFとしての世界の背景設定や技術の上に、その環境にいる知性体と知性体の関係性が語られるわけだが、愛や友情、他者との距離感、出会い、別れ、喜び、悲しみ、満足感、喪失感、快不快、信頼、不信。そのレイヤーは、21世紀に生きる私達とは異なるが、二者あるいは多くの者同士の関係性はそれほど大きくは異ならない。そして、それは、「物語」の基本に忠実だということでもある。歌や口伝、文字の発明後は言葉として紡がれてきた「物語」は人と人との関係性、自己認識、世界とのつながりのありようがくり返し表現されてきた。普遍的なテーマである。

 表題作「ビット・プレイヤー」は、世界が大災厄で重力が横向きになったという世界突然「目覚め」た主人公が、その世界のルール、矛盾、単純さ、不合理さに気がつき、自分が何ら記憶を持っていないのに一定の行動がとれるという状況に直面し、そこが仮想世界であること、そして、自分達がプレイヤーとなっていることに気がつく。そこから物語が激しく展開するが、それは読んでの楽しみ。しかし、主人公とともに世界のありようを知り、その世界と対峙していき、あいまいだった自己を確立していくというのは、物語の王道ではないだろうか。
「ビット・プレイヤー」について考えていたら、まだ見ていないのだが、2021年夏に公開された映画「フリー・ガイ」(監督ショーン・レヴィ、主演ライアン・レイノルズ)があることを知る。こちらは、ゲーム空間のモブキャラが自意識を芽生えさせ、自己のありようと状況に疑問を持ち、世界に関わっていく物語らしい。この映画が、「ビット・プレイヤー」と関係あるのかないのか分からないが、見てみたい映画である。

「鰐乗り」では、永遠とも思える時間を共に過ごした夫婦関係にある人類のカップルが自ら死を迎えることを決め、そのための最後の探求に乗り出す姿が描かれる。時間も空間も拡張した世界で、永遠の生を持ち、死を選択する理由とは、その際、パートナー同士の関係とは。銀河規模の壮大なスケールで語られるテーマは、それだ。

(2021.7.25)