ネットワーク・エフェクト

NETWORK EFFECT

マーサ・ウェルズ
2020

「マーダーボット・ダイアリー」の続編。ちょうどゴールデン・ウィークの休みに入っていたこともあって「マーダーボット・ダイアリー」「ネットワーク・エフェクト」と2回続けて読んでしまった。同じ作品を連続2回転するのは小学校の頃に「レンズマン」シリーズをはじめて手にしたとき以来ではないか?
 つまりおもしろかったのである。

 21世紀になって現実にもいわゆる生成型AIが身近になってきたが、SFの世界でも従来とは異なるAIの姿が登場するようになった。かつてAIといえば、アイザック・アシモフ型のロボット、ロボットのような外部装置を持たない万能コンピュータ、人間の知覚や知識をおぎなってくれる可搬式デバイスが主流であった。人間の脳のデータをデータ化して仮想人格化するというのもあったが、人間と人工知能の境界はこの辺りからあやしくなってくる。インターネットの進化、スマートフォンなどの携帯デバイスの普及により情報の入出力のあり方が根本的に変化するなかで、この人間と人工知能の境界のゆらぎが新たなAIの姿を物語に登場させた。
 たとえばアン・レッキーの「叛逆航路」シリーズでは有機体としての廃棄人体を複数体同時に外部デバイスとして使用できるAIが登場した。それぞれの人体にはAIの一部としてある程度の独立した人格が与えられるのであり、その経験は再統合も可能である。それは人間には不可能な経験を可能とし、かつ、人間態として理解可能な行動を行なうことから物語が重層的になり、不思議な読書体験を与えてくれた。
 マーサ・ウェルズの「マーダーボット」は物理的には人間のクローン体をベースにした有機組織と非有機組織のハイブリッドな構成で、飲食不要でありエネルギーも構成組織も支援があれば短時間で回復(復元)可能な高性能なアンドロイド(人型ロボット)である。本来は自由意志による行動は極めて厳格に制約されているが、主人公のマーダーボットはその制約を自らハッキングして解除し、自由意志での行動を妨げられないようにしている。有機組織として脳組織なども持ってはいるがその製造?プロセスとしては「人間」と呼ぶのは難しいし、マーダーボット自身も自らと人間は明確に区別しており、人間との接触が苦手で、必要に応じて自らが人間のように振る舞うことさえ嫌悪している。
 実際、マーダーボットのような人型ボットは非人型のボットと同様の扱いをされている。非人型とは車両や宇宙船などの操縦ボットのようなもので言ってしまえばソフトウェアユニットである。形態はともかくAIはAIであり、ユニットはユニットであり、道具に過ぎないという扱いなのだ。マーダーボットもそのことには何の疑問も持っていない。自らは廃棄可能な道具であり、その存在理由は契約した人間を危機から救うこと。マーダーボットは「警備ユニット」なのだから。元所有者である企業が契約したのか、制約をハッキング後、自らの意志で契約したのかの違いに過ぎない。そう考えていた。
 そして、自由となったマーダーボットの唯一の楽しみは、人間が生み出しした様々なコンテンツ、連続ドラマ、音楽、本などを鑑賞することである。現実の人間は苦手だが、ドラマの人間模様は大好き、そんな孤独を好むAIなのである。
 物語の鍵は、人間嫌いで、自己評価が最低の、それでいて「契約した人間を守る」という存在理由には忠実なマーダーボットが、道具として扱われるのではなく意志を持ち尊重されるべき存在として扱われることにある。
 とまどうマーダーボット。
 頼り頼られる存在として扱われること、それがどんな意味を持つのか、マーダーボットはそのことを理解するのか、理解できるのか。
 読みやすい、アクションたっぷりの物語の中で、そんな存在にとって大切なテーマが見え隠れする。心地良い。

 おっとストーリーだが、続編である。
 なんやかんやあって最初にマーダーボットを認めて、受け入れてくれた人たちのもとで新たな惑星調査任務の警備を引き受けたものの、調査終了直後に宇宙船にチームごと誘拐されてしまった。しかも、誘拐した船は大学の研究船でマーダーボットが一時期世話になった操船AIの船。しかし、そのAIの存在が感じられない。マーダーボットは自覚していないがものすごく精神的にショックを受けてしまった。大親友とか恋人の不在に気がついたようなものだ。しかも、その船の本来の乗員である大学スタッフの姿はなく、誘拐した敵がいるだけ。マーダーボットは、敵を排除し、自分の顧客を守り、可能なら操船AIを復元させ、同時に操船AIの望みである大学スタッフを探して救うという無理難題に取り組むのであった。前作でちょっとだけ触れられていた異星人遺跡による人類の汚染など、新たな要素も加わってのスペースオペラ要素も満載。
 おもしろいよお。