荒れた岸辺

THE WILD SHORE

キム・スタンリー・ロビンスン
1984

 核戦争後の物語はSFのひとつの定番である。破滅SF、終末SFとも呼ばれたジャンルで翻訳物としては古くは「黙示録3174」(ウォルター・ミラー 1959)や映画化された「渚にて」(ネビル・シュート 1957)が有名である。映画化といえば「ポストマン」(デイヴィッド・ブリン 1985)は本書「荒れた岸辺」と同じく核戦争後のアメリカを描いていた。
 本書の舞台はアメリカ西部カリフォルニア海岸のオレンジ郡にある小さな村。ちょっとだけ南の方のサンディエゴも登場する。
 背景としては本書が発表された1984年にアメリカ国内でたくさんの中性子爆弾が炸裂し、アメリカ合衆国は壊滅した。しかし、全面核戦争にはならず、国連を中心に世界はアメリカを残して繁栄を続けていた。アメリカは国連により内部からの脱出と外部からの侵入を許さない封鎖状態にあり、カリフォルニア海岸周辺は日本が海域監視を行なっていた。
 それから60年ほどの年月が流れた。
 オレンジ郡のサンオノファーでは少数の生き残った人々が身を寄せ合い、助け合いながら自分達の暮らしを立てていた。残された廃物で家をこしらえ服を仕立て、近海で魚を捕り、作物を細々と育て、パンを焼き、ときに少し遠出をして交換市で情報を仕入れ、手に入らないものを手に入れる。病気や怪我で簡単に死ぬが、子どもも生まれる。
 主人公の少年ヘンリーは毎日の仕事を終えると悪友のスティーヴや仲間たちとともに様々な計画を練ったり、遊んだりしていた。長老のトムじいさんは先の「破局」の生き残りで、トムじいさんから本を読むことや世界の歴史や芸術などを少しずつ教わっていた。
 ヘンリーにとっての世界は小さな村であるサンオノファーがすべてであり、そこからほんの少し外に出ただけで、それは命がけの大冒険であった。
 そんなサンオノファーのもとに南部の「都市」サンディエゴから使者がやってくる。
 それはヘンリーにとっての新たな冒険であり、そして少年から大人へのほろ苦い成長の旅でもあった。

 ちょっと特殊な設定である。地球規模の破局ではなくアメリカだけの破滅、そのなかでも都市ではなく漁村の小さな集団の物語を軸としている。そのなかで、ほんの少し都会のサンディエゴや海の向こうの「世界」をヘンリーという少年の目を通して垣間見るだけである。本当のところアメリカはなぜ世界から嫌われたのか、誰が、どこの国がアメリカを破壊しつくしたのか、世界はそれによりどう変化したのか、生き残った人たちはどのようにして生きてきたのか、ヘンリーとサンオノファーの視界からは見えてこないことばかりである。
 しかし、その小さな世界には、濃密な人の関わり合い、人間の人間らしい勇敢さ、勇気や優しさ、誠実さと、それと同じくらいの醜さ、汚さ、愚かしさが同居している。それぞれの登場人物の清濁は複雑に絡み合う。このあたりの濃密な描写はキム・スタンリー・ロビンスンならではである。
 のちの「火星三部作」での群像劇を彷彿とさせる。
 いまでは手に入れるのが困難な作品だが、機会があれば読んで欲しい作品だ。